他人の目を気にして夢を持つ状態

日々雑感

「子供の顔を見るのが何よりも幸せ」
という著名人。

マイクを向けられたらそのように回答するのが正解であろう。
ただ、実際にはその著名人は文春のスクープで不倫を暴かれたりするのである。

世の中。本音と建て前というものがある。
建前と本音を自分の中で整理できていればよいのだが、
特に若い頃にはそれが難しい。

自意識が過剰になり、
周囲との比較を辞められなくなるのである。
具体的な症状を私のケースから紹介しよう。

まず、
私が大学受験を選択したこと。
これ自体が周囲の目を気にした選択である。
「自分が本当にやりたいこと」
と、
「大学に行くこと」
これは実は全く関係がない。

周りの友人や教師に聞かれるし、
皆が行くから大学に行くという選択をしただけなのである。
私が高校時代に打ち込んでいたのは、
ゲームと漫画である。

陸上部に所属して勉強もしていたが、
寸暇を惜しんでゲームをしたり、漫画を読んでいた。
私がやりたいことはどちらかと言えば
ゲームをすることであり、
漫画を読むことだ。

しかし、
そんなことを人前で言うことができないから、
志望校は「東京大学分科Ⅱ類です。」
という、そもそもお前それが何かしっているのか?
という、空虚な夢を持ってしまうことになる。

そしてそのために結構な努力を払ってしまい、
その努力をしている過程で、
その作られた虚構の夢が、
あたかも自分の本心であるかのように独り歩きする。
そしてその結果、自分が本当にやりたいことを忘れる。

大学に入ってからも早稲田の法学部なのだから、
法曹界に進むという、
「誰のための目標なのか?」
という目標を立てることになる。

私が大学生時代に本当にしたかったのは
金と女だったはずだ。
間違いない。
バイトもしていたし、もっと金が欲しかった。
彼女も欲しかった。
だから合コンも沢山企画した。
そして女ができたら合コンの企画をやめた。

女と別れればまた新しい女を見つけ、
そうしている合間に、司法試験の予備校に通い、
勉強をしていた。
必死で勉強をしているうちに自分の目標があたかも
司法試験に合格することなのだと、
無意識に錯覚するような状態に陥ってしまったのである。

周囲の目を気にして生きていると、
自分が本当にやりたいことから離れてしまい、
建前の夢が本音を喰ってしまうという状況が発生する。

特に自分の子供にはその状態になってはいないか?
と、注意をしたい。
親に気に入られるような目標を語る子供は注意した方がいい。
それは本当にソイツがやりたいことではないのかもしれない。

さて、

では私は高校時代に漫画家を目指したり、
ゲームクリエイターを目指してコーエーや
スクエアエニックスを目指せばよかったのだろうか?

それも違う。
私は消費する側が好きだったのであるから、
制作側に回るのとはまた別の次元である。

消費をしたい欲求の生涯になるのは。
「収入」である。
まさに、資本主義において最も重要である金が入り込むルートを作ることが本当に大事なことだったのだ。

当時私が漫画やゲームを買っていたのは親からの仕送りである。
これは親の意思次第で止めることもできる。
また、自分が大人になればその金の供給は断たれることが自明であったのだ。

だから当時、高校生の私が下すべき判断は
「将来漫画も、ゲームも自由にできる環境を作るためには何をすべきか」
これを真剣に考えるべきだったのだ。

安易に勉強をしていればよかったのではない。
どうやら世の中というものは、学歴があるヤツが高い金を取るようだから、そっちに行っておくか・・・。

という判断でも良い。
その判断は正しい。
無意識に東大を目指すのではなく、官僚になって高給を得つつも窓際になって定年まで漫画とゲーム三昧を過ごすのだ!
という思考でやるならOKだったのだ。

それを、官僚になって、社会のために貢献したいとか、
心にもないことを言うから、おかしなことになるのである。
結局なぜかすべり止めで合格した早稲田に入ることになり、
法学部だから弁護士とかいう、まったく自分の心に従っていない空虚な目標を掲げてしまうことになる。

そもそも自分が心からやりたいことではないし、
日本中の秀才がシノギを削る難関資格には合格するわけもないのだ。

是非、皆さんも自分の本音をどこかに置き忘れていると思うので、ホコリを払って見つけ出して欲しい。

私は30代半ばになってやっと思い出した。
私はカネが欲しい。
女はまあ嫁がいるのでもういい。

次は自由に面白おかしいことを見て笑いたい。
投資をしてカネを持って思い通りに使いたい。
そんな本能に忠実に生きたいと心から思った。

現時点では、そこまでの資産形成ができていないし、
子供の教育もあるから、
勤め人をしながらでも構わない。

でも究極の目標はそこだ。
金を持って自由に面白おかしくやりたい。
それでいいのであり、それがいいのである。

をはり