下位2割になってしまった話

働き方

パレートの法則ってヤツだ

いかなる組織も
20%の有能
60%の平凡
20%の無能

により構成されるという説
家族でも
学校でも
スポーツでも

働きアリの話である

この2-6-2の法則だが
ついに私も勤め先で明確な
下位2割に当てはまるような気がしてきたので
ここに報告せざるを得ない

振り返ってみたら
ずいぶん前からその傾向はあってだな

明らかに俺は下位20%に片足突っ込んでるなと
思っていたのだ

この度、
晴れて100%、下位20%にいると確信できたので報告する

恐らく人生初だが
これは必ず訪れるのだ…そう必ず。

まず、人は生まれてすぐに
家族の中で下位20%として生まれる。

有能が母親
普通が父親
無能が自分である

何もできない無能として生まれる。

そして死ぬとき、
これも無能だ。

孤独死であったとしても、
最後は動くこともままならぬ。

家族がいれば家族に看取られ、
介護だけされて死ぬ。

まさに下位20%どころではない、
最下位としてフィニッシュするのである。

産まれる時、
死ぬ時、人はパレートの法則の下位20%にいる。

その過程において、
私は下位20%として位置づけられることになったのである。

悲しいお知らせだ。

勤め先で私は下位20%に甘んじている。

しかしだな、

家族の中では依然として私はリーダーである。
精神的、物質的支柱である。

柱の御前である。

また、俺の法人の中でも圧倒的、神的な存在である。
私がいなければ俺の法人は成立しない。

上位20%に位置する。

そう、人は所属する組織の数だけ位置づけがあり、
それが変わるのだ。

私が所属する
〇家族
〇俺の商売
〇勤め先

という大きく3つの組織の中で、
勤め先という分野で私は下位20%になったに過ぎない。

アドラー心理学でいうところの、
人は所属する社会を多く作った方が良いというヤツだと思う。

誤解を恐れずに言うと、
家族ですら捨てられる社会の1つに過ぎない。
家族を捨てて、フィリピンで生活することも可能だし、
そこで家族を作ることもできないことはない。

そう考えると、まあ所属する組織の中の1つで、
私がたまたま最下位になっただけだ。

私が下位20%を守る意味

私は勤め先で、この下位20%の自覚を守ろうと思う。
給料が減らされても(限度はあるが)良い。

ゴミカス言われても良い。

存在し続けようと思う。
いわゆる働かないオジである。

給料が無駄に高い、
働かないオジ。
このポジションを誇り高く守ろうと思う。

なぜ、せめて普通の60%になる努力を惜しむのか?
若しくは別の組織に移って上位20%になればいいではないか?

大いに正しい。

しかしだな、

私はもう勤め人という働き方が嫌である。
今の勤め先ではかなり自由にやらせてもらっている。
これがいわゆる普通の会社に移ったら、
恐らくガチガチの管理をされるに決まっている。

株主や経営者のために労働力を販売するのは、
今の勤め先が最後なのだ。

さらにだ

だったら独立起業すればいいじゃないか?

という意見もあるだろう。
大いにある、正しい。

しかしだな、

独立起業すると家賃収入1200万円、
CF60万円程度のショッぱい経営者になってしまう。
それは少々心もとない。

妻は自分の事業収益を生活費にするつもりはサラサラない。
全部ためておく計画だ。
(どうやら相続した老朽ビル2棟を建て替えしたいらしい)
相続した時点で現預金があまりなく、
それも兄と姉にほとんど渡したので、
ビル2棟とスッカラカンの法人を相続した妻としては、
せめて次世代に相続するまでには、
建て替えができる準備をしておきたいようだ。

その気持ちも分かる。

しかし、
そのために生活費は全部お前な!
と、言われると、現代っぽくないなとも思う。
まあ、男の甲斐性である。
仕方ない。

ムスコ3人産んでくれた義理があるから、
身体が動くうちは頑張るしかなかとです。

窓際勤め人大家として生きる

私はまだ卒業しない。

まだだ!まだ終わらんよ!
というヤツだ。

あまりにもハッキリ、下位トップを取ってしまった現実を突きつけられてしまった今回の事案。

それでも結構責任ある仕事を持っているのだが、
現実は受け入れなければならない。

ここで専門性、協調性、リーダーシップのほかに
戦略コンサル()みたいな仕事まで学ぶには
私は少々老いすぎたし、資産が増えすぎた。
やろうと思えばやれるのだろうし、
やるべきなのだが、
私はやらない。

無能と言われることで、
いままで自分の人生が常に勝負だったし、
勝つことにこだわっていた人生だったと、反省している。

思えば大家業を始めたのも、
大学の同級生たちの年収に並びたかったからだし、
弁護士を目指したのも、カネと名誉だ。
借金取りをしながらも、
取引先の外資系金融の連中の派手な生活をうらやんでいた。

ここから、勤め人として上を目指すのはやめた。
かといって経営者として誰かと鎬(しのぎ)を削るのも嫌だし、
大家業界の連中と資産規模対決、所有部屋数、借金額勝負をするのも心底嫌だ。

赤井先生や芦沢先生も、50代まで勤め人をやっていたのだ。
私みたいな中途半端な大家は定年までやり切った方がいい。

その時には息子達も
30歳、25歳、24歳となる。
このうち誰かは、勤め人不適合になっているかもしれん。
その時に「俺の法人」で一緒にセコイ商売でもできたらいいし、
全員立派な勤め人になったとしたら、
孫の保育園の送迎でも買って出ることにしたい。

良い人生だ。
本当にいい人生だと思う。
勝利者の人生と呼ぶにふさわしい。

そう思う。

をはり