なぜ自分の人生なのに自分の好きなようにできないのか?

相続・教育・次世代

スマホを制限された息子の一言

最近はマジメに中学校に通っている息子であるが、
スマホの利用が制限されている。
switchなども基本的に宿題を終わらないとプレイできない。

そろそろストレスが溜まってきたようで、
そんな時に出た一言がこれだ。

「なぜ、スマホを自由につかえないのか?俺の人生なんだから好きにやらせて欲しい」
と。

この感情の吐露は非常に良い。
自分の人生がなぜ思い通りにならないのか?
息子は13歳にして、人生の理不尽に直面したようだ。

このように子供が本心から、何かを切望した時こそ、
教育のチャンスである。

貴様が言う自由は、俺のカネで保証された自由だ!

私の回答はこうである。
スマホ、電気、Wifi、息子が自由に使いたいと希望しているインフラは全て、
私の負担において提供されたものだ。

まあ100歩譲って、有名お私立中学の学費に関しては、
義務教育なので、恩着せがましいことは言うまい。

しかし、
カネを出してもらっている以上は口を出されるのだ。

これは資本主義のルールに直結している。
起業したとしても、ベンチャーキャピタルから出資を受けてしまえば、
役員を派遣されて口を出されることもあるし、
収益の目標も課される。

銀行から資金調達をした場合にも、財務内容をチェックされるし、
返済が滞れば強制的に回収されることもある。
(それでも出資を受けるよりは口出しされる程度が低いのでおススメだが)

そう、まさに息子の心の叫びは、
単に中学生の愚痴に留まらない意味を持っている。

勤め人の境遇も全く同じである。
給与をもらうために、自分の人生の少なくない時間を経営者に売り渡しているのだ。
少なくとも売ってしまった時間(自由)は思い通りにならないのである。

本当に自由になりたければ自分の稼いだカネで何とかするしかない。

お前の人生はカネで縛られている。

未成年だからではない。
親が子供を思ってしていようがなんだろうが関係ない。

子供が自由ではないのは、
カネがないからなのだ。
親に依存せずに自分だけのために収益をもたらす商品を持てば、
息子は自由になれる。

親だろうが、なんだろうが、他人のカネで思い通りに遊びたいという欲求は、
資本主義ゲームの中では許されない。

自由にやりたかったら自分で稼いだカネで自由にしたらいい。
この回答で息子が思いついたのはYoutuberらしい。

まあ、悪くはない考えだ。
そして息子も息子なりに考えたらしく、
Youtuberになるから設備投資の資金を私に要求してきた。
しかし私は息子に事業計画の提出を求めた。

そしたらブチギレて、「もういい」
と、言った。

これは非常によい教育になったと思う。
北風がバイキングを作る。
適切なストレスは男を成長させる。

息子は「カネさえ稼げれば…。ちくしょう。」
と思っているだろう。
それでよい。

つづく