大阪よ私は帰ってきた

日々雑感

来年は大阪の仕事が増えそうだ

という訳で、大阪へ来ていた。

大阪には縁があって、入社してすぐ。
投資してから初回の面談で、返済します!
と返事をしてきて、1ヶ月で2億円儲けた案件があった。

私は結構こういうラッキーパンチが当たる。
何もしていないのに、
勤め人の生涯賃金に匹敵する金額を稼ぐことが、たまにある。

自分に適性がある仕事と言うのはそういうヤツだと思う。
普通に働いていたら、やけに褒められるって仕事だ。

加藤先生で言うと大家業、ラジオの仕事。
聖丁で言うと証券セールス。

適正な仕事とは努力しないでも結果が出る仕事であり、
努力すると「とんでもない」成果が出る仕事である。

勤め人の仕事は、所詮生活費稼ぎなのだから、
体力、精神力を温存しておく必要がある。
浮いた体力、精神力で、「俺のビジネス」をぶん回す必要があるのだから、
勤め人の仕事は、ホドホドにしておくのが望ましい。

サボるのは良い。
しかし、サボっているところを見つかってはならん。
求められる成果は出しつつ、200%、300%はやらんでいい。
という話である。

そんなラッキーな場所である、
大阪の仕事が来年から増えそうだ。

大阪で大家をするのは東京でやる10倍は簡単だ

大阪の金融機関の融資姿勢はものすごい。
行けると思った案件はドンドン出してくれる。
特に担保付だと、かなり頑張ってくれる。

東京ではこうはいかない。
何故かは知らんが、
ナニワ金融道の本場だから、
貸す方も借りる方もガチなのだとしか言いようがない。

信金、信組が特にグイグイ押してくる。
財務内容に気を付けて地道に進めていれば、
融資がネックになることはあまりないのではなかろうか。

この点、関東は難しいし、東北などは最難関であろう。
融資が受けやすいのは本当に追い風になる。

だったら大阪に引っ越してやれば?
という辛辣な意見も出そうだが、
私は所詮、東北の貧農の出。
東京でも少々荷が重かったので、
妻の実家の財力も合算しつつ、千葉を拠点に東京東部から千葉西部で
勢力を伸ばすと決めた。
東京も大阪も、攻め込むには3代待つか、
稀代の英雄がSAT家に誕生するのを待つしかない。

先ずは楔(くさび)を打ち込む。
SAT家という無資産階級の家をこれから興隆させていくのだ。
いきなりメジャーリーグで戦うのは愚策だ。
まずは草野球から地道に勝ち上がっていく。

メジャーでも草野球でもルールは同じなのだ。
ただ、プレイヤーが違うだけだ。
焦ることはない。
3代、4代かけて勝負する気で行けば、
勝てない相手など存在しない。

勤め人としての最終コーナー

勤め人のスタートで縁起がいい大阪を久しぶりに担当する。
ここで良い結果を出したところで、
別に誰がどういうも何もないのだが、
私はこの仕事が有終の美というヤツになるはずだ。

そもそもこの仕事は始まってしまうと8年は続くという性質のものだ。
4年が過ぎると、もう4年やるかどうかの検証が入る。
さすがに12年になってしまうと、
私も57歳である。
そこまでやることはなかろう。
現場作業員をあと12年もやってしまうと、
大家業の資産規模も4億に迫るだろう。
そこまで行ってしまうと、勤め人にも身が入らない。
そもそも、気力体力が劣化してしまって、何もできないかもしれない。

その意味でこの8年で成果を出して、
惜しまれつつ去るのがいい。
大谷翔平が今年(2024年)で引退するような感じ。
え?なんで?やってくれよ!

という現役最高成績を出して、去るのである。
私はこれがいいと思う。

限界までやって、ボロボロになって去るのも美学ではあるが、
勤め人であればこそ、
一番いい時に去る。
これだ。

勤め人の先にも人生がある。
その人生の為にも、勤め人として使えなくなる前に去るのがいい。

去った先で良いことがあるだろう。

をはり