鹿児島への出張を終えた。
やはり、週3で休日があると身体が楽である。
特に飲酒イベントもなく、
実に快調だ。
来週も週4勤務であり、
勤め人ライフを満喫できている。
CFはタイトであるものの、
これは自ら意図的にタイトにしている部分が大きい。
あえて物件取得ペースを早く、
借入を短期で組んでいる。
これは自分の勤め人継続モチベーションを保つためだ。
つまりこういうことだ。
タイトな財務と貧困状態のストレスは、
男子を成長させる。
男子というかもう壮年なのだが。
油断すると勤め人を辞めてしまう。
私が専業大家になってしまったら、
インフルエンサー()として全く価値が消える。
高給勤め人はSNSに発信しない。
知り合いの高給勤め人で、
不動産で相当のボリュームの投資をしている人がたくさんいるが、
彼らは静かに暮らしている。
言わないのである。
SNSでドヤドヤしている専業大家よりはるかにデカい。
中途半端な高給勤め人と
中途半端な大家の私が注目をされるには
勤め人継続しかないのである。
とはいえ、
私は別に注目を求めていないのだが。
あれだ、
ストレスを貯めた床屋が
穴を掘って
「王様の耳はロバの耳!!!!」
と叫んでいるような状態。
それが今の私だ。
SNSは穴である。
以前聖丁がVoicyで言っていたのだが、
リスナーの質問にこう、こう答えていた。
質問者「聖丁の発言はいつもブレがないがそれはなぜか?」
聖丁「見ている時間軸の違い。私は時間軸を長く見ている」
私は思わず膝を打ってしまった。
徳川家康と同じだ。
人生100年を全体として最適化するべく振舞っている。
家康公は徳川政権(=日本国の平和と安定)まで見据えていた。
刹那的な金儲けに興じる人はその先を見ていない。
昔商工ファンドというブラック金融会社があったのだが、
社員を低給与で酷使し、
資金繰りに悩む中小企業に高利でカネを貸し付けて、
残酷な取り立て行為をしていた。
ほどほどにしておけばいいものを、
ギリギリまで社員と債務者を追い込むものだから、
最期は国家に潰された。
サラ金も同じである。
社会問題化し、貸金業法改正、
実質的な遡及処罰である、過払い金返金訴訟地獄に追い込まれ、
結局全てのサラ金は銀行の傘下に入った。
カボチャの馬車、スルガ銀行もしかり、
確かにカネは稼げるのだが、
ほどほどにして、「道理」に基づく経営に切り替えなければ、
最期は「道理」に潰される。
かく言う私も、30歳から40歳までは、
ギリギリの節税行為を行い、
保育料ゼロで3人の息子を育て上げたり、
ごまかした税金で不動産を買ってきた。
そのツケは社会において尊敬される仕事は死ぬまで就けない。
という十字架を背負うことになった。
言わなければ就けるのであろうが、
私の性格的に言ってしまう。
結局税務署に全て回収されて責任を取ったのだが、
社会制度のバグをついて、
利益を得ようとする、このセコイ性格だけはどうも治らないらしい。
一生背負って生きていくことにする。
思えば、今思っているような、
「SAT家の繁栄」
を目標にしたのも、40歳が見えてからである。
そもそも28歳で結婚したのは、
正社員の嫁を貰い、
さっさと世帯年収で1,000万円稼ぐという、俗っぽい発想からだ。
子供をもうけたのは、
妻が3人欲しかったから。
という、私とは関係のない事情によるものだ。
昔の私は子供が欲しいなどと思ったことはない。
妻と出会わなければ、
若しくは、妻が子供など要らないという人であれば、
私は子供を作らなかった可能性が高い。
しかしだ、
妻が子供を欲しない妻であっても、
40代を過ぎて、カネを持って、
死を意識した時、
子供が欲しいと、手のひらを返した可能性も高いのである。
子供を欲しない妻と結婚した別な世界線の私は、
妻と離婚し、出産能力のある新しい妻と結婚した可能性が高い。
私はそういうことに対して案外冷徹にやってしまう。
ヒドイ一面がある。
嫌いだった祖母にはもう20年も会話していない。
多分葬儀にもいかない。
嫌いだった叔父はやっと死んでくれたが、
なんの感情もない。
実際20年以上会話することなく、彼は死んだ。
恨みもない。喜びもない。
無感情である。
愛の対義語は憎しみではありません。無視です。
と、マザー・テレサが言っていたとかいないとか。
まさにそうだ。
ある意味怒りのワードを綴るのであれば、
愛情の一側面と言えるがのだが、
無感情なのだ。
これをやる人間こそ冷徹なのだ。
そう、私は冷酷な人間である。
最期の最後にぶっ飛んだ冷徹なことをサラりとやってしまう。
飲み会に行けば、
愛想よく振舞うが、いざという時には合理的かつ冷酷な仕打ちをする。
そういう人間だ。
色々話が散らかってしまったが、
悪事もほどほどにしておかないと、トドのツマリは、
潰されるということだ。
堀江さんが潰されて、楽天、YAHOOが生き残っているのはそういうことである。
優しくするのも自分に悪意が向けられないためにやることだ。
情けは人の為ならず。
をはり