完璧な人生とは何か?
これは概念である。
正義も概念であり、正義そのものは実際には存在しない。
平等、平和などもこれだ!
というものは存在しない。
しかし、概念として理解して、それを目指すことが出来る指標という意味で、
これらの概念は大いに意味がある。
完璧な人生というものも、
一般的には存在しないと言える。
人それぞれに理想とする人生が異なる以上、
具体的な人に当てはめることはできない。
すなわち、自分で定義していくものである。
私としては自分の人生をどうしていきたいか?
是非、定義したい。
目的なく生きるのも「快」であるが、
目的を持って生きると充実感がある。
まず1つ目「家族」
生物として生まれた以上、生殖はしたい。
私が生物としてこの世界に誕生した理由は、
地球誕生にさかのぼって単細胞生命体であったころから、
綿々とつながってきた遺伝子である。
それをここで次の世代に伝えるのが義務であろうし、
本能的な欲求もある。
その意味で3人も子宝に恵まれたのは僥倖であった。
満足である。
一方で、離婚してさらに若い嫁をもらい、
時間差一夫多妻制という荒技を使うことも可能である。
しかし、私はその器ではない。
残念だが、世の豪傑たちのような生涯を送るのは、
あと2回ほど転生する修行を要すると思う。
ただし、子供たちの人生にまでは干渉できない。
全員が遺伝子を次世代につなげないという選択をされてしまうと困るのだが、
子供は別人格である。
強制は不能だ。
資本主義の中で生き残る私なりの作戦は伝授するし、
女の問題から逃げるな!ともいうが、それ以上は勝手にしたらよい。
犯罪以外は何をしてもかまわん。
そんな感じである。
障害児でも生まれていたらまた違うだろうが、
おそらく立派に日本男児として社会人になれるであろう、
立派な息子達だ。
この点は特に改善の余地はない。
ついつい怒鳴ってしまったりすることを控えて、
何事も見守るようにしたいということくらいだろう。
明日は「仕事」の観点から考えたい。
つづく
【今日の勤め人】
〇 広島出張中
【俺の商売】
〇 特にない。
つづく