お勤めご苦労さまです

日々雑感

勤め人を続けるためには貧しくなければならない

ズっ友の皆さんにはお話ししたのだが、
毎月30万円程、月々のキャッシュフローが改善した。
3,000万円のアパートをもらったようなイベントである。

©鳥山明先生

つまり、こういうことである。
ついついスマホゲームに課金してしまったり、
怪しいマッサージを受けたりしたのだが、
予定通り30万円のプラスのキャッシュフローで3月は終わった。

借入をドンと繰り上げ返済して、
いつもより多い口座残高を見ていると幸せである。
幸せは金(カネ)である。
幸せの99%は金(カネ)だと思う。

さてさて、不思議なもので、毎月これだけキャッシュフローが改善してくると、
とある感情が首をもたげてくる。

「勤め人卒業」である。

皆さんも考えてみて欲しい。
毎月200万円。労働しなくても保証すると日銀総裁が念書をあなたに書いてくれたとする。
それでもなお、勤め人を継続できるだろうか?
こんな調査をしたのを見たことがないが、
恐らく半分程度の人は勤め人を辞めてしまうのではないだろうか?

私はやめると思う。
人は生きるために十分なキャッシュフローを手に入れたら、
「勤め人」という立場を辞めてしまう生き物なのだと思う。

勤め人が好きな人はいない。
好きな仕事はそれぞれあると思うが、
勤め人という立場でそれをしたいと言う人は少ないと思う。
カネの問題を解決できたとしたら、
好きな仕事を自分で起業する道を選ぶだろう。

確かに、チームで研究する研究者などは、
経営をすることを煩わしいと思うかもしれないし、
大きなプロジェクトを行うためには組織に属する必要はあるかもしれない。
それでも、キャッシュフローが200万ではなく、
2億円だとしたら、自分でやってみたいと思うのではなかろうか。

その意味で、十分なキャッシュフローがあったら、勤め人という立場を選択しないという割合は9割を超えてもおかしくはない。

そう、勤め人であるためには「適度に貧しくなければならぬ」のである。

月30万円のキャッシュフローの副作用(?)

私も30代前半までは本当に月30万円程度のキャッシュフローで暮らしていた。
今よりよほど重労働をしていたと思う。
独身で30万円もあったら、生活には全く支障はないだろう。

しかし、今30万円程度のキャッシュフローでは生活はままならぬ。
息子たちの育成は最短でもあと14年程続く(三男の大卒時)。

それまでは我慢して勤め人をやろうと思っている。

それでもなお、たった30万円のキャッシュフローの改善で、
私は勤め人、卒業しようかな…。
と、思って、ついついノートを開いてプランを書き始めてしまうのである。

危険である。
危険思想である。

そもそも私には勤め人を卒業してまでして、
やりたいことは、ない。
40も過ぎて、いまだにヒラ社員で、稟議書をチェックする立場ではなく、
稟議書を作成して、上司に誤字を指摘される日々だ。
それでもなお、他人のために他人をマネジメントして、
組織の数字にコミットさせられるよりはマシである。

上から降りてくる作戦をこなし、成果を出す。
無論変な作戦が多い。
私なら違う作戦を実行して成功させる自信がないこともないが、
それを提案して、指揮官に任命されたとする。
当然結果は出すだろう。
結果はみんなでシェアされて、
私は褒められて、少し高い給料を得るだろう。
でもそれだけだ。

そのリワードに対して私は擦り減る。
白髪も増える。
ひょっとしたらハゲるかもしれない。
ストレスでアルコールも増えるだろうし、
体重も増える。

そこまでして、勤め人として成果を出すことに対してコミットできないのである。

もし、不動産を持っていなかったら、コミットしていたかもしれない。
私は不動産で500万円程のキャッシュフローがあるので、
どうしてもそこまで頑張れない身体になってしまったのである。

ある程度のキャッシュフローができてしまうと、
勤め人に対してモチベーションが湧かなくなる。
一生懸命になれなくなってしまうという副作用があるのかもしれない。

資本主義は多数派に貧しいままでいてもらわねば困る

私のように純粋労働者でなくなってしまうと、
資本家は非常に扱いにくい。
資本家は常に労働力を必要としている。
それも質の高い労働者である。

質の高い労働者とは、毎日休まず、時間通りに出勤、退勤する。
給与はソコソコで満足する。
従順である。経営に対して有益な提案ができる(でも対価は求めない)。

マシーンが代替できる部分が増えてきたとは言え、
まだまだ人間の労働力は有益である。

このような有益な労働者が、前述のように給料に依存せずに、
十分なキャッシュフローを手に入れてしまったら大いに困る。
そこで、結婚、子供、住宅ローン、車という商品に金を使わざるを得なくさせて、
適度に貧しさを維持してもらわないと困る。

給料がなければ生きていけない状態にして労働力を提供してもらわないと困る。
資本家が資本家でいるためには、
多数の労働者が貧しくしてもらわないといけないのである。

その意味で社会が賃上げ賃上げというのは問題の解決になっていない。
所詮労働者は賃上げしたとしても、
その上がった給料を浪費して、給料に依存する生活を続けるからである。
賃上げ大いに結構。
資本家が怖いのは賃上げではない。
ストライキよりも恐ろしいのは、労働者が給与に依存しなくなることである。

資本家に反発するのではなく、資本家になるのだ

ここで資本家に怒ってはならない。
資本主義+自由主義の素晴らしいところは、
労働者にも資本家への道が開かれていることだ。

江戸時代であれば農民は農民で一生を終えるしかないし、
武士は何があっても武士である。

しかし、現代の資本主義+自由主義の素晴らしいところは、
労働者から資本家へのクラスチェンジが可能であることだ。

搾取する資本家に怒っても無駄だ。
資本主義の勝者は資本家であるのだから、
自分が資本家になるのである。

資本家とは商品を持っている側(がわ)の人たちである。

商品とは私で言えば「貸家」である。
人によっては「ラーメン店」であったり、
「アフィリエイト」である。

給与ではなく、売上を受け取るようになった時、
資本家になることができる。
日本は資本主義国家なので、
資本家は大事にされる。
資本家優遇なのである。
学校で労働者を育成するが、
大事にするのは資本家である。

それは学校が、法律、税金、社会保障制度をしっかり教えないことからも明らかだ。

しかし、
一足飛びに勤め人から資本家になることはオススメしない。
半分労働者、半分資本家という、
ハイブリッドから、徐々に資本家率を高めていこう。

まずは貸家1件からだ。
株式でもできるが、それでは一生かけても資本家になることができないように設計されている。
さあ、行こう、資本家の道を。

をはり