私はデフレが好きだ

日々雑感

私の社会人人生は不良債権の処理と共に始まった。

不謹慎な話であり、
国民にとってはフザけるな!という話であるが、
私はデフレと共に生きてきて、
リーマンショック、バブル崩壊という国家の難局で大いに利益を得る人生を送ってきた。

私が司法試験受験をやめ、
就職した時、世間は、不良債権処理が進んでいる最中だった。
私が法学部を出て、司法試験の勉強をしていたことは、
債権回収という分野で非常に役立った。

弁護士になれなかった人間の進む道としては、
従来、弁護士事務所の事務員のような仕事しかなかった。
私はサービサーの業界に入り込んだわけだが、
この業界は司法試験に合格できない二流の法律家と非常に相性が良い。
私はバブル崩壊、不良債権処理という世界に入ることができた。

また、不良債権処理の過程で中古不動産を買う。
という投資家の存在を知ったことも大きい。
私はバブルの処理という不況で職を得て、成長してきたのである。

しかし、
2005年以降は景気が持ち直す。
証券化バブルである。
不良債権処理の世界も、
「どうやら不良債権は儲かるらしい」
と、嗅ぎつけた投資家が次々と参入して、
価格高騰が始まった。
私の勤め先も業績の成長が鈍化してきた。

リーマンショック、そして勤務先の倒産

なんでもかんでも証券化するアホな時代は、
リーマンブラザーズの破綻によって終了した。
金融セクターの問題にもかかわらず、
影響は全ての分野に及ぶ。
特に不動産業界は金融との関係性が深かったので、
多くの企業が破綻した。

私の勤め先の企業は、
担保付不良債権の取り扱いが多かったせいだと思うが、
銀行からは「不動産業」に近い業種と分類されていたらしく、
返済不能に陥る。
勤め先にはPEファンド(プライベートエクイティファンド)が投資しており、
このPEファンドは上場というExit(出口)を諦めてさっさと会社を清算する手続を始めてしまう。

アントキャピタルというファンドだったと思う。
彼らには投資のセンスがない。
天井で買って、井戸の底で売ったアホだと思う。

さてそれはさておく。
そして私は転職活動を余儀なくされた。

銀行系サービサーに転職して給与が倍増する

年収350万円の勤め先だったので、
今思えば倒産してくれて本当に良かった。

私は、銀行系サービサーに転職をすることになる。
債権回収という業界は、そもそも新しい業界だから、
若い経験者が少ない。
回収部門と言うのは出世コースから外れた、
オジサンの住む世界なのだ。

その点私は学歴もあるし、
当時31歳という使い勝手の良い年齢。
50人の応募に対して採用1名という競争をダントツで突破したのである。

結果、私の年収は700万円と倍増するに至る。
不良債権で始まった私の勤め人人生は、
リーマンショックと言う不況によってさらに改善したのである。

その後は、アベノミクスと言う好景気期間を迎え、飛躍する機会に恵まれていないが、
勤め人としてはトップクラスの年収となった。
私の勤め人人生は、
世間が苦しければ苦しいほど、稼ぎが増えるという、
まさに逆張りの人生だったと思ふ。

そもそも借金は、正常に返済がある間は何の手間もかからないものだ。
これは好景気でカネが順調に回転する時期である。
しかし、私の勤め人仕事は正常にカネが回転しなくなった、その時が稼ぎ時なのだ。
当然不景気に重宝されるのは当たり前だ。

つづく