ウッドショックと父の日

ビジネスの話

父親の話

6月20日は父の日である。
私の父は73歳だが、建材だ。
父の日ということで、焼酎を10リットル程送っておいた。
日時指定できなかったので、
早い分にはよかろうと、18日に到着したようだ。

読者の皆様も父の日に何か送っておくと良いだろう。
電話の1つでもいいだろう。
是非下のリンクから買って欲しい(笑)。



さて、私の父は地元の農業高校を卒業し、
農協(今のJA)に入社しながら、
実家の農業を兼務するという人生だった。

祖父は7人兄妹の末っ子だったので、
土地を持たない小作農民で貧農だった。
祖母は意地が悪いババアで、
私も相当いじめられた。

農地を借りて耕作するだけの貧農の長男に産また。
73歳の今、若い頃に欲しかった大型バイクを買い、
若い頃に土地を持っていなかった悔しさのせいだろう、
今では町内で最大の農地を保有し、東京ドーム数十個分の山林を所有している。

こう書くと相当な事業家のように思えるが、
さにあらず。
東北の過疎地の田畑、山林の価値はほぼゼロだ。
50万円~100万円前後で広大な農地山林が買えるのである。
父は高齢となって農地も山林も管理できなくなった人から、
買い集めて、今では地元で最大の農地山林を保有するに至ったのである。

若かりし頃のトラウマというものは恐ろしい。
小作農で貧しかったころの怨念で、
大型バイクを買い、農地山林を買ってしまう。
残念ながらコメも山林も収益を出すのが難しい商売だ。

私は若くしてそれに気づいていたので、
東京で弁護士になる方が効率がいいと思っていたため、
躊躇なく田舎を去った。

父は古い人間なので、
長男と言うしがらみに囚われ、
地元を出るという発想もなく、
田舎で領土を拡大するという戦略を取ったのであろう。

父も私と同じく3人の男の子をもうけたが、
3人とも田舎を出て、後継者もいない。
田畑山林は打ち捨てられる運命にあるのだが、
今でも後継者を必要としている。
残念だが、あの広大な土地をするには莫大な労働力を要する。
そしてさらに残念なことにあの広大な土地から産み出される収益は微々たるものだ。

吉報?

後継者不在の広大な土地であるが、
ここへきて後継者候補が現れた。

兄の長男(18歳)が立候補したという。
高校卒業を機に、農業系の専門学校へ進学し、
岩手県某所の広大な山林田畑を承継するらしい。

私は父の微々たる資産(数千万円、それも前半)など欲しくもないし、
売れもしない田畑山林なので、相続放棄しようと思っている。
それを承継すると言うのだから渡りに船である。
一応叔父として、彼(兄の子)が自分で何を承継しようとしているのかは、
説明しようと思うが、それでもなお承継すると言うのであれば、
止める理由はない。

父の死後は兄の長男以外の相続人が全員放棄すればいいだけの話だ。

彼に才覚があって、地方の田畑山林から、収益を産み出せるビジネスモデルを構築できないとは言い切れない。
是非頑張って欲しい。
恐らく数百人の人間を養えるだけの田畑がある。
数万本(概算)という山林(杉)もある。
あの広大な土地を利用して何かできないとも言い切れない。
兄の長男には勤め人として有利となる学歴を得る能力はなさそうなので、
勤め人になるよりはよほどマシかもしれない。

ウッドショックで追い風?

最近海外の木材が高騰している(2021年6月時点)らしい。
これで国内の林業が脚光を浴びる?
と言うのは素人の発想だ。

国内の林業は既に数十年かけて、海外の安い木材によって、
壊滅的な打撃を受けてしまった。
生産者は減る、加工業者は減る、流通網も消滅したのである。
それを今さら、さあ国内林業お願いします。
と、言われても困る。
オマケに、今のウッドショックがいつまで続くかわからない。
どうせコロナが落ち着いて住宅需要が減ったら、
安い海外木材が再度流入してくるに決まっている。
その時投資したカネは回収できないのだ。
ここで投資するのは賢明とはいえない。

残念だが、父親の持つ広大な山林は資産とは呼べない。
広大な負債なのである。

今の若者がイカした人生を送るためには?

父の時代は戦後の復興期だった。
私の時代は復興から停滞への移行期だった。
今後どうなるかはわからない。

残念ながら、私は40年続く低成長の時代に生きるハメになった。
この時代でイカした生き方は
値下がりし続ける資産を買い叩いて資産形成して、
フラフラ生きるこだったと思う。

バブルの頃に建てられた住宅を買い叩き、
適正な賃料で貸すというビジネスだ。
これを勤め人をやりながら回していくことに私は辿り着いた。

父親はJAで勤め人をやりながら、田畑山林を買い進めた。
(畜産もやったが、牛肉の自由化で利益がでなくなり、廃業)

次の時代に何をすべきかは残念ながらわからない。
私ができるアドバイスも時代遅れなのだと思う。
次世代がしっかり頭をひねって考えるしかないと思う。
父や私がそうしたように。

つづく