小さい頃から芸能人とかジャニーズが嫌いだった。
私は小さい頃から光GENJIとかSMAPとか。
ジャニーズが嫌いだった。
理由は単純で、学校の女子たちがキャーキャー言うのがムカつくのだ。
当時はわからなかったが、
私の心理状態としては
「なぜ俺じゃなくてジャニーズなんだ!」
という、劣等感への抵抗である。
情けない話だ。
しかし、この劣等感に対して「諦め」という手段で対抗すると、
ただのモテないガキに成り下がる。
この劣等感に対してナニクソ!
という「自分を改善する努力」をするのでなければならぬ。
高校までは、私は「勉強」という手段で対抗した。
しょせんジャニーズは低学歴じゃないか!
(昔は特にそうだったと思う)
俺は顔は普通かもしれないし、運動も普通だが、
勉強はコイツらよりできるぞ!
と。
結果そこそこの学歴を得た。
そして大学に入学してからは、合コンに勤しんだ。
丸1年かかったが、ついに彼女と言うものも手に入れた。
対女性のコミュニケーションをマスターし、
今に至るまで女性に困るということはない。
大卒以降は弁護士が嫌いだった。
私は弁護士になりたかった。
理由は今思うとカネと自由がある職業だからだと思う。
結果的に司法試験に合格するほど頭がよくなかったので、
挫折してしまったが。
勉強をしている時から、「この試験は難しいな」
と、思っていた。
特に旧司法試験の合格者平均年齢は28歳。と、
かなりの難関試験だった。
自分が合格しないにも関わらず、
弁護士になって活躍している人が特に嫌だった。
これもやはり自分の「劣等感」への抵抗である。
やはりこの劣等感にも「諦め」という手段で対抗していたら、
私は貧乏なオジサンに成り下がっていたことだろう。
さらに司法試験を受験して新卒でいい会社に入れなかったことで、
一流企業の社員にも劣等感を感じていた。
私はこの現実に対して
会社員としてはソコソコ+大家の家賃=高年収
という手段を編み出して対抗した。
30代前半まではダブルワークまでしていた。
30歳頃には年収450万円+副業180万円+不動産100万円となり、
年収730万円と、そこそこの稼ぎになった。
オマケに副業は赤字申告していたので、税金はゼロだった。
恐らく年収1,000万円の勤め人程度の手取りはあったと思う。
まだ当時は楽に年収1,000万円に達する商社マンとかに劣等感を持っていたが、
今となっては彼らの稼ぎの倍になってしまったので、
私はこの劣等感を完全に克服してしまった。
劣等感に対抗するしかない。
聖丁も言っているが、男の幸せはカネと女と自由である。
まさに私の青年期までは女(ジャニーズが嫌い)とカネ(弁護士、一流企業社員が嫌い)との闘いであった。
手に入らず、劣等感と戦ってきたのである。
この「自分にはカネと女がない」
という圧倒的な現実に対して、
正しい対抗策を打つことこそ大事なのである。
この現実をゆがめて、
女が間違っている。
とか
社会が間違っている。
と、現実を曲げて解釈してしまっていたら、
私は今頃汚いオジサンに成り下がっていたことだろう。
女が手に入らないのであれば、
女に困っていない人を真似る。
なぜ困らないかを分析する。
現実をありのままに見て、その現実に自分を適合させていく姿勢が大事なのだ。
弁護士にもなれず一流企業にも入れず、カネに困るならば、
どちらでもないが、カネに困っていない人を真似れば良い。
勤め人をしながらもう1つ仕事をする。
さらに不動産を買って不動産にも稼がせる。
共働きをして世帯年収を上げる(これは間違った戦略だったが)
劣等感とは戦い、勝たねばならぬのである。
今はもう
ジャニーズに対しても、弁護士に対しても勤め人に対しても
嫌いという感情はない。
ジャニーズはむしろ息子の世代なので、
頑張って欲しいとさえ思うし、
せっかく女に困らない容姿なのに、
スキャンダルを恐れて自由にできないことには同情してしまう。
弁護士は人数が増えて、年収が下がっているようで大変そうだ。
エリート勤め人は羨ましいと思うところもあるものの、
他人のためにそこまで一生懸命に稼いでそれだけか?
と、これまた同情してしまう。
今嫌いな人間というものはあまり存在しなくなった。
汚いやり口で稼いだり、人を傷つけている人間に対しては嫌悪感はあるものの、
自分の劣等感とは関係ない。
是非自分の中の劣等感と向き合って欲しい。
そして目の前の現実に、正攻法で立ち向かって欲しい。
その結果、明らかになるのは、「現実ではなく、自分を変えるしかない」
ということだと思う。
つづく