島津 義弘(しまづ よしひろ)
生誕 1535年8月21日 ~ 死没 1619年8月30日 享年85歳
島津の次男です。
独自の志をひっさげて登場です。
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雄武英略
雄武英略を以て傑出す
我、日新公の見込みを汚さぬ名将たらん。
薩摩隼人
薩摩兵児は決して背を見せぬ
死中に活を求むが島津の戦なり
いろは歌
いにしへの道を聞き手も唱へても
我が行ひにせずば甲斐なし
薩摩隼人
その強さから「鬼島津」の異名を持つ義弘。
関ケ原の戦いでは、わずかな兵で
徳川家康の本陣の横を突破し、
薩摩に生還しました。
屈指の猛将ならではのこの脱出劇は、
後世、島津の退き口と呼ばれています。
基(鬼島津):大名自らが出陣すると部隊の士気が上がる
条(捨てがまり):戦況が不利に動いているときに潰走した部隊が捨てがまり戦法を使う
条(島津の退き口):部隊の攻撃力が上がり、潰走した部隊の復帰が早くなる
悪(死を恐れず):農兵・足軽の死亡率が上がる
ちなみに島津 義久はこちら
基(二の太刀要らず):決戦で初撃の攻撃力が大幅上昇
条(種子島):鉄砲部隊の攻撃力が上がる
条(捨てがまり):戦況不利で潰走した部隊が捨てがまり
悪(火の山):開墾の効果が下がる
鉄砲の攻撃力UPの方がいい気がしますね。
これは完全に島津義久と同じ能力です。
まあ島津家なので一緒でいいと思います。
もう少し義弘っぽい感じにしてほしかった気もしますね。
統率 97
武勇 94
知略 85
内政 76
外政 75
圧倒的な武勇!統率!
異論なし!
義弘と言えば当然関ケ原、「島津の退き口」
わずか1,500の兵で正々堂々正面から退場したとの逸話ですね。
こちらは戦国立志伝で見事に再現されております。
NHKのその時歴史が動いたでもPICKUPされていますね。
それほど有名な逸話です。
繰り返しますが、私はこの島津的武勇が嫌いです。
怖いというのもありますが、
あまりに人命軽視、大将優遇の感じが旧日本軍の思想にかぶるからです。
しかしこの圧倒的な武には恐怖を感じます。
彼らは秀吉にも最後まで抵抗しましたが、
結局は旧日本がアメリカに物量戦で負けたように、
秀吉の圧倒的な経済力の前に敗北したところまでそっくりです。
まさに鬼!鬼島津!