島津 家久

薩摩島津家
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島津 家久(しまづ いえひさ)
生誕 1547年 ~ 死没 1587年7月10日 ※享年41歳

所領拡大
乱世に生まれたからには
武を以て所領を増やすべし

先手必勝
戦を以て所領を奪うべし
先手必勝、
自ら攻めて活路を見出さん

商業主導
商いにも力を用いるべし
商圏の広がりは領地の広がりにも通じる

武力で自領を安定させた有力武士たちは、
次第に旧時代の支配層を排除して
力を伸ばしていきます。
戦国大名となった彼らは、
自らの、そして家臣たちの領地を広げるために
外へ外へと侵攻していくのです、。

基本(落城重視):攻城戦での強行の威力が上がる
条件(攻囲戦術):攻城戦で包囲の威力が上がる
条件(拡大主義):領外で決戦すると部隊の防御力が上がる
悪(虎の子):拠点を失うと家臣の忠誠が大きく下がる

兵糧の買い占めによる米価のつり上げや、
御用商人による大名への武器の納入など、
戦国時代は戦と商業の関係性も強まっていました。
所領拡大を目指す大名同士がぶつかり合うとき、
その裏では商業を巡る争いも必然的に起こっていたでしょう。

基本(商敵排除):商圏の独占費用が減る
条件(商売上手):領外の商圏の金銭収入が増える
条件(商売繁盛):領内の商圏の影響力が毎月上がる
悪(頭打ち):商圏の投資費用が増える

統率 91
武勇 96
知略 85
内政 54
外政 70

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耳川の戦い(1578年)での活躍

耳川(みみかわ)は宮崎県北部の2級河川です。

耳川の合戦

高城(たかじょう)の南を流れるのが耳川(みみかわ)です。
この高城 城主は山田有信(やまだ ありのぶ)です。

そして南の佐土原城 城主が島津家久でした。
大友軍に高城が包囲されたと聞き、島津家久はいち早く佐土原城から高城の援軍に参加します。

距離にして約19㎞ 大軍に囲まれる仲間を守るため死地に赴く島津家久
カッコいい。

合戦の経緯に関してはこのページが最高です。

佐土原城遠侍の間(さどはらじょうとおざむらいのま)様
http://www.hyuganokami.com/index.html