勤め人をしないことが「勝ち」ではない
「まだ東京(勤め人)で消耗してるの?」
と言う名言から10年が経とうとしている。
一世を風靡した。
まさに地方移住ブームに火をつけたのか、
個人的には地方移住ブームに乗っかったのがあの書籍だったと思うのだが、
このパワーワードが全てを物語っている。
ノマド的な働き方、フリーランスという生き方に勤め人が憧れたのである。
数々の悲劇も生み出した。
思えば2015、2016年というあたりは、
急激に労働環境がホワイト化していく過程だった。
バブル時代を生きたパワハラ、セクハラ上等の勤め人が経営の中枢に入って、
少子化の時代に突入して弱弱しくなった若い勤め人に対して、
自分たちが若かりし頃と同じような対応をしたのである。
これをモロに食らった(食らっていた)若手が、
安易な逃げ道を探して地方移住とフリーランスに飛びついたのである。
結果は悲惨で、一部の勝者が、多数の弱者勤め人に対して、
「情報商材」を売りつけるという形でカネを奪い、
さらにその金で自分が豪遊している様を見せつけて、
フリーランスという地獄に引きずり込んでいった。
一部の勝者(与沢翼氏、イケハヤ氏、川島氏、峯島社長)と多数の敗者というむき出しの資本主義の体現であった。
しかし、スマホの進化、SNSの影響力拡大によって、
パワハラは可視化され、今までは闇から闇に葬られてきた
社員の自殺も隠し切れなくなった。
サービス残業も当然だったのだが、突然勤め先が残業代を払うと言ってきたのは
当時、訳が分からなかった。
フリーランスに逃げた連中ももう少し我慢していれば、
企業(勤め人)のホワイト化で救われたのに、
逃げ出してしまったが故に、慌てる乞食は貰いが少ない。という諺(ことわざ)通りとなってしまった。
今フリーランスを絶叫しているヤツはいない。
そう、企業はホワイト化したのである。
さらに、コロナによって、ホワイト化に拍車がかかる。
リモートワークが使える勤め人はまさに天国のような状態になった。
勤め人一本でいいのか?独立起業一本でいいのか?
この10年の変化で務め人か?独立自営か?
という二者択一で見ては全てまちがえる。
2つの選択肢を示しておきながら、どちらもハズレってヤツだ。
どっちも負けだ。
結論から言うと、「資産」を買わないと負けるのである。
勤め人か?独立起業か?
という対立を10歩下がって俯瞰(ふかん)してみなければならん。
この2つ、どちらを選んでも構わないのである。
持ち家か?賃貸か?これと全く同じ話である。
与信可能額の限界まで借りて、新築一戸建を土地値の安いエリアに買う。
これは最低である。持ち家の失敗だ。
しかし、中古の戸建を土地値で買って、セルフリフォームで済む。
これは持ち家の成功である。
都心のクッソ高い家賃の家に住む。
大ハズレである。
勤め先の借り上げ社宅制度を利用して、その範囲で通勤圏内の賃貸に住む。
正解である。
そう、どちらも正解である。
問題な選んだ先にあるのだ。
SUUMOや不動産会社が煽るのは、
新築マンションと新築戸建。
どっちも外れだ。
2社択一でどっちを選んでもリクルートと不動産屋の養分になるって寸法だ。
即ち、勤め人、独立自営もどっちでもいい。
低給与で過剰労働なら意味がないし、
零細で青息吐息の自営業では意味がない。
問題は資本主義というシステムに気づけなければならない。
即ち、金持ち父さんのキャッシュフロークワドラントで言えば、
EとSではダメ。BとIに「徐々に」移行していくということだ。
答えは、高く掲げられていた。
回答は問題用紙の中にある。
「資本主義経済」
この経済システムの中で何が大事か?
そう、資本である、資本(自己資本と他人資本がある)で何を買うのか?
そう、資産を買えばいいのだ。
貯蓄(自己資本の蓄積)と借金(他人資本の調達)で、資産(不動産)を買うんだ。
しかし、初めの一歩はどうしても、勤め人からスタートするしかない。
丁稚奉公ってヤツだ。
あの松下幸之助も丁稚から始めた。
我々が丁稚から始めずに済むわけがない。
労働者でも自営でも構わんが、キャッシュが残る方を選べ。
そして資本を蓄積して、資産(不動産)を買うのだ。
これが正解だ。
お私立大学レベルの俺程度できる難易度の勤め人大家。
学歴社会とはいうが、それは勤め人だけの話だ。
資本家の世界で重要な通知表とは「財務諸表」である。
つまり決算書。
学歴が通用するのは入社試験までである。
東大主席卒業と中卒が、同じ営業マンになって、
中卒社員がトップセールス、東大主席が目標未達となったら、
どちらが評価されるか?って話だし。
これは普通にあり得る。
勤め人の場合には、東大君の使い道もあるが、
経営者同士(資本家)の戦いだったら、東大君の先には死しか用意されていない。
学歴社会のヒエラルキーは旧帝国大学、一部の国立大学(一橋、東工大等)を頂点として、
その下に早慶、それから地方の駅弁大学、その下に兵隊養成機関としてのMARCH、
今でいうSMARTという序列となっている。
私も学歴で頂点を極めようとしたが、負けた。
勤め人としても管理職には結局1度もなれずに終わりそうだ。
大家業という意味でも、都心周辺で買ってはいるものの、
零細大家である。
しかし、私程度の敗者、零細資本家であっても、
合算すると、公務員の頂点に近い年収まで上げることができる。
そして、民間勤め人と大家業を並走させることによって、
資本家としての格(つまり良い決算を出せる法人のオーナー経営者としての格)を上げ続けることができた。
私と同世代の同級生や、もっといい企業に入社した先輩達は、
40代も半ばになり、出世コースから外れたり、今更独立しようとしたりしている。
勝者と敗者が明確になってきたってヤツだ。
勤め人で出世に拘泥しているヤツがそのコースから外れると非常にミジメである。
ミジメなのは負けたからではない。
そもそも競争する価値がない(ように見える)ものにこだわって、自分を見失っているからだ。
他人の会社で他人から評価されて出世することに何の意味があるのだろうか?
承認欲求から逃げられていないのである。
私程度の学歴と経営センス(いずれも中の上程度)でも、
勤め人として年収1本を安定的に稼ぐ40代。
これにはなれる。
マーチとかいう大学カテゴリーがあるらしいが、そのレベルでも可能だし、
経営センスがあれば高卒でもできる。
その証拠に高卒の大家でも私の数倍の規模で事業を展開している人は多数、いる。
つまり学歴と経営センスは無関係である。
ただ、学歴がある程度あると、勤め人と大家というハイブリッドができる。
私のような中途半端な人間には最もふさわしいスタイルなのだ。
実際そんな人はかなり多いと思っている。
勤め人として出世できなくてもいいじゃないか。
負けたなら今からでも遅くないから「ショボイ大家」と「ヒラの勤め人」をやろうぜ。
年収と資産規模で出世した連中にやり返そう。
をはり