2025年5月28日(水)

日々雑感

心が揺れる日々だ。
何に揺れているかと言えば、

勤め人を卒業するかどうか?
という論点が1つ。

もう1つが借入を増やしていくか?
という論点が2つ目だ。

ウチの奥様はその点ギャーギャーと騒がない泰然自若とした人間なので、
別に相談も何も要らない。
旦那にポンっと、500万、600万を融資してくれる信頼関係もある。
その点は問題ない。

嫁にいちいち指図されるようなステージにいるとしたら
信頼関係が足りないと言うべきだな。
信頼関係とは、即ち、カネか、労働力の提供。
このいずれかしかない。
カネがないなら労働力を提供するのだ。

専業主婦志望の嫁であれば、
それを叶えてやる。
大いに信頼関係が増加する。
その代償として共働き並の稼ぎが必要になるが。

家事、育児が辛いと言うのであれば、
ベビーシッター、家政婦を雇う、ダスキンのお掃除サービスを定期的に導入する。
など。これも大いに信頼関係が増加するだろう。
これもまた、代償としてカネがかかる。

カネがないなら、自ら家事、育児に参加するのがいい。
カネで全て解決するかと言うとそうでもなくて、
授業参観、運動会など、子供のイベントに参加することも必要だ。
撮影、準備など、積極的に参加(労働力の提供)を行うと、
信用ポイントが増加する。

その積み重ねだな。
ただ、カネよりも労働力の提供の方が信頼関係が増加しやすい。
女性の本能ではカネという商品をそれほど評価できない。

とは言え、DVイケメンが好きだったりする女性も多い。
まあ、そういう嫁を引かないのが一番だ。
一回ひいてから返品するのは大いに手間がかかるのでね。

さて、
今日はその話ではなかった。

5月の決算書ができたら金融機関めぐりをしようかという計画だったのだが、
どうも気が進まない。
これ以上事業規模を拡大してもなぁ。
という気持ちが強くなっている。
これで、もっと勤め人がブラックならやる気もでるのだろうが、
特に急いで辞めたいわけでもない。
それ以上に辞めてやりたいこともない。

カネのために働く必要がないのはありがたいことだが、
さりとて、他に何のために働くのかという問題である。
息子達の将来の食い扶持のため、というのは、正直言うと、
「大きなお世話」である。
そこまで用意してやる義務はないし、
歓迎されないかもしれん。
歓迎されたとしても、それが結果的に子供をダメにする教育の可能性もある。

息子達にはある意味、辛酸を舐めるという経験も必要なのだ。
その、辛酸ってヤツは9割の人間が普通に舐め続けてそのまま死ぬ程度の辛酸で、
世間ではそれが「普通の生き方」ということになっている。
私の兄は身体を壊して田舎に帰ったし、
私の弟は今も、勤め人一本槍で戦っている。
親から2,000万くらい贈与を受けて、新築の家も買ったらしい。
その生き方で納得できる、そして副業で本業の勤め人を上回る年収をたたき出すという生き方は逆に彼らには苦しいのかもしれないし、
私の息子達も、私のような生き方が合うとは限らない。

価値観の押し付けをするつもりはない。
俺がイイ!と思っても、家族ですら、共感を得られないかもしれないのである。

という訳で、子供の将来の食い扶持や、生き方の指導というのは、
私の人生の目標足り得ないわけだ。
一生独身でもいいとか、女なんて要らないとか、貧乏でもいいとか、
そういうことは矯正するべく動くが、
まだ高校生と小学生である。
動くには早すぎると言う話である。

結局「他者」は自分の人生の目的にはなり得ないのだなと思う。

そんな訳で、銀行取引拡大ってヤツもあまり乗り気がしなくて困っている。
1ヶ月1ヶ月、ただ時間を潰しているだけで、資産が形成されていくのだ。
そしてその額は、私の人生すべてを面倒みてくれるだけの規模にある。

1億のタワマンに住みたいとか、
ベンツに乗りたいとか、
キャバクラで豪遊したいとか、
そういう欲も薄い。
それどころか旅行すら行きたくないし、
飲み会などもほぼ参加したくない。
セミナーもイベントも嫌いだ。

そんな私が、銀行取引を拡大して規模を広げていくのは、どうなんだろうか?
必要もないカネを追っていくことが私のやりたいことなのか?

いや、1週回ってだな。
実は事業を拡大していくこと、それ自体が目的でいいんじゃないかと、
書いている今、思い至った。
カネ自体が目的なのはどうか?
という論点だが、
それを言ったら、バフェットはどうなのだ。
質素な生活をしながら世界指折りのカネがある。

バフェットは間違いなく
投資、リターンを得ること自体を楽しんでいる。
それでいいのではなかろうか?

確かに私も投資の意思決定をするのが好きだし、
回収の判断に迷うのも好きだ。
トラブルに対処するのもアドレナリンが出る。
そうか…。

私は投資回収それ自体が好きなのだ。
好きだからこそ、勤め先での変な意思決定にイライラするのである。
変な意思決定、変な指示、ふざけた経費の無駄遣いに、
他人のカネなのにイライラするのだ。

野球が好きな人もそうだろう。
ブラリと散歩に出て歩いている河川敷で、
少年野球をしているのが見えたとしよう。
ついつい野球が好きだから、
「その場面でフライを打つスイングはダメだろ!」
と、思ってしまうだろうし、勢いあまって、
指導してしまうかもしれな。
それが「好き」と言うことなのだ。

それでいいのではなかろうか。
別に有り余るカネを持っても仕方ない。
と、達観する必要はない。
単に、投資が好きだ。
それだけで事業規模を拡大してもいい。

それでいいのだ。
問題は、本当に俺は投資、回収それ自体を愛しているのか?
という問題である。
この点はしっかり確認してから一歩を踏み出そう。

つづく