我慢の日々である。
何を我慢しているのかと言うと、
➀ 卒業できるのに勤め人を「我慢」して続けている
② 新しい事業を始めたいが「我慢」して、やらない
③ 物件購入に動きたいが「我慢」して動かない
こういう状態である。
長男はギリギリで進級できたのに、
2年生になって、また学校をサボり始めた。
まあ、サボっても期末テストで優秀な成績をたたき出すのであれば、
天才ということになるが、
赤点だらけの親呼び出しである。
まあ、単なる怠け者だ。
挙句の果てに、買ってあげたiPhoneを破壊した。
破壊した理由は不明だが、
私も気持ちはわかる。
私も高校時代に、プレステで遊んでばかりいて、
勉強をしなかった。
怒りのあまりにテレビをぶっ壊したことがある。
同じだ。
学校をサボってスマホゲーム、オナニーをしている自分に腹が立つが、
どうしようもない。
仕方がないから、スマホをぶっ壊してしまったと言う話だろう。
スマホは人間から、あらゆる気力を奪う。
何かしら自分が好きな物が入っている。
(SNS、エロ動画、ショート動画、映画、押し活)
これを持っているだけで、本来やるべきことを見失ってしまう。
特に子供には、これが致命傷になる。
現代の親が子供に与えるべきなのは、
教育でも、文明でもなくて、
「欠乏」これを意識的に与えなければならないと思う。
腹が減って死にそうだという経験。
孤独という感覚。
ゲームをしたいのにできないと言う辛さ。
全力で戦って負けるという感覚。
ある意味こっちが本当の教育なのかもしれないと、オレは思うね。
私も現代っコだったから、
沢山のモノを与えられてきた。
ただ、経験上、与えられたモノは容易に失われた気がする。
大学は自力で合格したが、学費と生活費は完全に支給されていたから、
バイト代が自由になった。
これを遊興費に使ってしまった。
女修行はできたが、不十分でオトナになって痛い目を見た。
逆に親から、「法科大学院は無理!」
と、言われて、覚悟がキマって、勤め人に素早く転進できた。
自分で学費を稼ぐほど、私は法曹になりたいわけではなかったのである。
要するに子供は、与えられることで堕落し、
欠乏により成長するのではないかと、私は思うのである。
現代では母親も共働きでカネを持っているから
本来、与えてはいけないタイミングで、
与えてしまう。
私も父親として、PS5を買ってやったり、SWITCHを買ってやって、iPhoneSEを買い与えた。
息子はそれによって堕落した。
有名お私立中学受験もさせた。
まあトータル300万か400万くらいだが、
この投資は私が子供の頃には与えられなかった投資(浪費)である。
これは100%ドブに捨てられた。
息子は不登校となり、家ではゲームに負けて腹を立てて壁に穴を開けたり、
スマホを破壊したりしている。
Switchも殴るので画面が壊れている。
ある意味長男には、与えることによって人がいかにダメになるかを、
実験させてもらえた気がする。
次男と三男には欠乏を与えている。
欠乏を与えるというのは実にいい表現だと思うのだが、
ゲームは1日1時間もできない。
これによって外で遊ぶ機会が増えている。
何をしているのか知らんけど、
10時に出て行って、昼飯を食って、また夕方まで帰宅しない。
思えば私もそんな幼少期を過ごしていたのだ。
川へ行って、魚を採る。
サバイバルゲームをして戦う。
などなど。
まあ、家でiPadをやるのは確かに楽しいが、
気力が失われるだけに終わる可能性がある。
体力が過剰、精神力がゼロという感じだろう。
不均衡により、気力が喪失して、
不登校、破壊衝動に繋がっている可能性が大いに、ある。
私がテレビを破壊したのも高校時代だったが、
部活をやっていた時、それはなかった。
部活を引退して、勉強一本になってから、それは起きた気がする。
軽い運動を自主的に行うことも解決策の1つだと思う。
長男は引きこもりであり、
もう父親の言うことなど聞きもしない。
関係性の構築に失敗したと言えばそれまでだ。
まあ、仕方がない。
18歳を過ぎてフラフラしていたら、
容赦なく家から叩き出して、思う存分欠乏を与えようと思う。
思えば15年も与え過ぎたのだ。
与え過ぎると人間はダメになる。
とりあえず、自宅を買わなくてよかった。
思春期の子は家を破壊するし、
18歳になったら、引っ越して強制的に自立させるという戦略も取れない。
買っていたら逃げ道がなかったところだ。
つづく
2025年4月28日(月)
