先週は妻の用事があり2日在宅勤務をした。
そのまま土日に入ったので、
勤め人卒業後の自分が見えた。
「プレ卒業後ライフ」である。
勤め先でやっていることも大したことはないが、
自宅でやっていることも、本当に大したことがない。
読書、散歩、筋トレ、動画視聴で1日が終わる。
卒業してはいけない気分にもなるのだが、
この気分は間違いだ。
1か月、2か月、3か月~1年は何もしないと決めておいたほうがいい。
勤め人の呪いを解くにはそれだけの時間が必要だ。
聖丁程の人物になるとVoicyでヒットしてしまうのだが、
私程度の俗物では、何もしなくてもいいくらいの感覚でいていいと思う。
これは推測で言っているようにも見えるのだが、
実は、私は司法浪人時代この感覚を1度経験している。
大学卒業後、丸2年勉強していたのだが、
限界を迎えてしまい、就職してやる気が爆発。
やる気が空回りして転職してブラック企業に入ってしまった。
その後20年以上勤め人を続けた。
次のステップに進む前には1年は最低休もうと思う。
しかし、私のことだから、
半年程度で、ぼちぼち動き出したくてムズムズするはずだ。
このムズムズが到来するまでしっかり動かないことが大事だ。
もういつ卒業してもいいように準備をする。
2026年は現預金の増額と合わせて、いつ踏み切ってもいいように準備したい。
そんな2026年にしたい。
2025年は勤め人の稼ぎを副業が上回った。
20年という長い時間を費やしてきた勤め人。
勤め人ゲームはクリアしたと言っていい。
実際に、経済的自由達成の基準は
生活費を給与なしで賄えるキャッシュフローを生み出すシステムを構築した時点という。
最初は給与しかなかった。
給与だけで生活をしながら、さらにその余剰資金で大家業を構築した。
つまり、その、給与を大家業が上回った今は、
十分な経済的自由達成状態である。
タイミングがいつか?
これが問題だ。
一応、勤め先の社長が引退するタイミングに合わせる。
こう考えている。
聞いても明言しないので、いつになるか全くわからない。
いつくるか分からないものには、日常的に備えておくしかない。
日々是、常在戦場だ。
をはり
2025年12月7日(日)
日々雑感