2026年の私立文系の偏差値を見たが、
最近では慶応より早稲田の方が人気があるらしい。
私が受験生の頃は、両方合格したら8割が慶応に進学していた気がするが、
時代は変わったようだ。
しかし、これはシーソーゲームのようなものである。
常に評価は遷(うつ)ろう。
しかし1つだけ言えることは、
東京大学がナンバーワンであり、早慶が東大に並ぶことはあり得ない。
上智大学やら東京理科大学を早慶に並べようとするが、
ごめん、並ばないから!
まあ、40もだいぶ過ぎて学歴の話かよ!
という意見もあるが。
私の勤め先の社員の学歴を分析してみると、
有名私立の割合が高い。
有名じゃない私立もいる。
旧帝大は少ない。
ただ、有名私立でも一年浪人していたり、
推薦入学をしていたりで、
現役有名私立一発合格みたいな人は少ない。
つまり一流からちょっと落ちる。
家柄も立派な人とかはいない。
何が言いたいかと言うと、
伝統的な日本の超一流企業には、東大、京大、
早慶がゴロゴロいて、さらに親、親戚にも
財界に縁があったりする人がいる。
いわゆる一つの上流階級

勤め先は、超一流企業ドロップアウト組。
二流銀行ドロップアウト組。
などなど、主流からはちょっと外れたキャリアが多い。
私も司法浪人からのブラック企業から逃げ出して借金取り。
勤め人が勤まらなくて大家業を並走させながら、
勤め人として糊口をしのぎつつ、スレスレの節税をやりまくるような
まあ、インテリヤクザなのか?違法スレスレ窓際勤め人である。
起業する能力もない。
一流企業で出世していける程の人格もない。
社会的には比較的高給を得ているものの、
上の下(じょうのげ)か、中の上(ちゅうのじょう)の人材の集まりってところである。
日本は平等な国民性ではない。
昔から天皇を頂点に乞食まで、しっかり階級社会になっているのである。
同じ仕事をしているのに、
パート・アルバイト
派遣社員
契約社員
正社員
と、手取りが変わるのである。
同一労働、同一賃金。
これが資本主義の前提であろう。
農業なんて特に階級が低い。
米の適正な価格は当然、原価、設備投資を踏まえて、小売価格は5㎏5,000円が適正だとしても、国民様は騒ぐ。
武士階級は合戦がなくなったのに年貢を取っていたのが江戸時代である。
それで世が収まるのだから、日本人の国民性はすごい。
フランスでは王をギロチンに架けて革命を成し遂げた。
ロシアでも帝政を打倒した。
天皇陛下の世が2,600年続いている。
こんな国民性の国家は世界中を見渡しても存在しない。
正直言うと、私はこの国民性が不愉快に感じるタイプだ。
がまんできない。
私が江戸時代に農民に産まれていたら、
実家から逃げ出して、江戸か大坂に潜伏して商人になっていただろう。
まあ、今の私から見ても、豪商にはなれなかったであろう。
豪商の番頭の筆頭程度が関の山で、セコイ商売を自分でもやりながら、
番頭にヘコヘコ仕えていたような部類だと思う。
さて、要するに何を言いたいのかというと、
人には格というものがある。
人格と言うヤツだ。
人格と言うのは品性である。
長く生きれば生きる程、その人の人生とは、
その人格・品性が正しく反映されたものになるということだ。
40過ぎて勤め人をやっているような人は、
人格が勤め人なのである。
そもそも経営者になるべき人格は40歳までに経営者になっている。
(もちろん経営者になって敗北して勤め人になり下がるのもいるだろう)
そして、勤務する企業ってヤツも、
自分と似たようなレベルの人間が集まると言うことだ。
即ち、私が今働いている場所は、
まさに私にお似合いのレベルだということである。
10年以上も同じ企業に勤務できると言うのは、
レベルが一致していると言っても過言ではない。
だから、自分が行う勤め先批判、怒りってのは、
まさに同レベルだからこそ出てくる批判、怒りなのである。
大型犬と小型犬ではケンカにならない。
同じ犬種だからケンカになるのである。
つまり、私がバカにしている天才上司君やらパワハラ上司君は、
極めて私に人間性のレベルが近いのだ。
ある意味仲間である。
ケンカが成立するためには力が拮抗していなければならない。
拮抗していないと、一方的な虐殺だ。
まとめると、
自分が今所属している企業。
それは「あんたにゃそこがお似合いだ」
をはり