今日は叔父の葬儀だった。
5万円包んだが、兄と弟とのバランスを考慮して、
私が5万でオヤジも5万ではマズイから
私の兄弟は3人2万ずつにした。
叔父はいい人だった。
婿養子に行って、建設会社の常務までやった。
70歳まで働き、
身体を壊してそのまま死んだ。
岩手で建設会社だから、
当然津波の瓦礫撤去だ。
解体した家から遺体が出ることもあったらしい。
夏は虫や粉塵が出るから、
肺癌になった。
まさに殉職だ。
借金取りをしている時に東北の建設会社をかたっぱしから回収していた。
その話をしたときは叔父も、次はうちの会社がお前に回収されるな。
と、笑っていた。
そうこうしている間に東日本大震災が起きて、
民主党政権を生き残って、減った建設会社で労働力が足りない中を
必死に働いていた。
需要に合わせて供給するのはいいことだが、
大規模災害の際には需要が爆上がりする。
その時「供給が足りない」となるのは目に見えている。
だから、普段からまだ使える建物でも橋でも
早めに解体して建築するというような、
一見もったいないこと。
も、しなければならない。
食料、建設力、電力、ガス、鉄、
需要を上回る供給力をキープしなければならんのである。
何でもかんでも節約すればいいというものではない。
防衛力も然り。
無駄を負担できるのは政府の仕事だ。
私は死ぬまで民間だろうから、
無駄はできん。
デフレ型投資は続く。
国民窮乏化政策が改められない限りは永遠にだ。
私が生きている間に正しいケインズ的な政策がとられることはないと思う。
息子達はそういうマクロ経済政策をしっかり学んでほしい。
SAT家100代続くためには、
常に変化に対応できる運営をしなければならない。
とはいえ、
具体的に何を教えたらいいかは、
さっぱりわからん。
一生懸命生きて死んだ
叔父に合掌。
をはり