金曜日は「ダブル億り人」こと勤め人大家の某巨大企業勤務の方と重要な会議を行った。
やはり大企業は素晴らしい。
優秀な労働力を搾取して莫大な利益を計上している。
「俺のためにもこの愚策は維持されるべきだ」
資本主義とは商品の集合体であり、
全ての商品は労働力により生産される。
労働者が産みだした価値に対して
労働力再生産に必要な価値が給料として支給されるが、
労働力再生産に必要な給料以上は資本として企業に蓄積されるのである。
三菱商事だろうと、伊藤忠だろうと、
銀行、、、、金融はちょっと違うのだが、
まあ、あらゆる大企業が過去の労働力のピンハネの蓄積の上に
成り立っていることは言うまでもない。
また、労働者には、上記のようなことを教える必要もないわけで、
むしろ知らない方が良い。
学校教育、それ自体が、労働者生産システムなのであり、
このレールに沿って成長すると、すべからく、
労働者になるのである。
この愚策は資本家のために維持されている。
この愚策に対して、
我々がどのように向き合うのか?
それが問題だ。
共産主義革命という方法で向き合ったのが、
ソ連であった。
だが、これはほどなく失敗した。
私の取る作戦は
「資本家側になる」
という作戦である。
何も乾坤一擲(けんこんいってき)で起業するという話ではない。
資本家的な生き方をする。
これだけである。
労働力再生産の世界とは勤め人である。
この世界で出世すると、ますます労働力の拠出を求められる。
課長になると残業代が付かないと言う話が有名だが、
とにかくある程度カネを払ったら、
勤め人は使い倒さないと儲からん。
これが資本家側の正義である。
他人の正義を自分の正義だと勘違いして、
優秀な勤め人は自分の労働力を売り渡す。
労働力とは1日の活力。
ツマリ、人生、命そのものなのである。
とはいえ、
私達はお勉強秀才で、ある程度勝ってきた側だ。
今更この道から外れても
海千山千の資本家に食い殺されるのが席の山である。
過去、社会主義的な思想が、日本の法制度にも組み込まれた。
それが、解雇規制、残業規制などの労働法である。
まさに資本主義の犠牲者たちが、その血と汗で勝ち取った法律がある。
この法律をしっかりと活用して、
いい会社に潜り込み、中の下くらいの成果を出し続け、
ゆっくりと働く。
ゆっくりと働いたら、労働力が余る。
余った労働力は「資本家的な動き」に費やして、副業で資本を蓄えるのである。
これが学校教育の洗脳からオッサンになって解き放たれた勤め人の
ソリューションである。
若くしてこの欺瞞に気づいた人は、
最初から資本家側に回る動きをすればよいが、
私もこれに気づいたのが30も半ばを過ぎてからである。
不動産は買っていたが、
上記のような理屈があってやっていたことではない。
その意味で、
中年勤め人は、相当キツイ職場でもない限り、
ギリギリまで勤め人を引っ張った方が良い。
若い頃薄給で使い倒されてきた分を今回収しているだけなのだ。
収穫期にクビになれるのはわりに合わない。
しっかり役立たずになった私に高給を払って、
資本家側にもツケを払って頂く必要がある。
そもそも、私には
勤め人を卒業しても、勤め人並みに稼ぐ商才がないのだから。
私をこき使った会社は倒産したり、
携帯電話屋の子会社になってしまった。
今の勤め先から回収するのは、
江戸の仇を長崎で討つ
みたいで恐縮であるが、資本主義という大枠でとらえて、
許してもらう。
という訳で、ダブル億りビトのエリート勤め人の方におかれましても
52歳まで引っ張ってからご卒業あそばすことをお勧めした。
をはり