100%の人生

考え方

バランスが大事である

一応私も東大を受験したのだが、落ちた。
当時(1998年受験)はセンター試験で9割
(720点、国語200、数学200、英語200、理科100、社会100)
取って、2次試験で英語、数学、国語、社会2科目
という英数国社2理という5教科6科目の勉強が必要だった。

お勉強でも東大に入るためにはバランスが重要なのだが、
もっと俯瞰して、人生という単位で見ると、
こちらもバランスが重要だ。

今回は人生における必修科目について考えてみたい。

① 経済力
 資本主義世界で生きている以上、1番に持って来ざるを得ない。最終的に能力を換金してカネを稼ぐことになるのだが、凡人であれば勤め人、突出した才能があれば、芸能、芸術、経営等で経済力を蓄積する必要がある。ただ、勤め人が出来る程度、個人事業主として最低限食っていけるだけの経済力が必要だ。これが出来ないレベルが生活保護となるが、これは約200万人いるとされる。下位2%が生活保護。つまり経済力では落第レベルとなる。資本主義の難易度は日に日に上がっている。

② 体力、運動能力
 これも最低限ないと、①も同時に喪失する。手足が正確に稼働する。このレベルは最低欲しい。運動ができない芸人を笑いものにするTV番組があるが、あの程度は笑えるのでいい。手足が無い人だったら笑えない。AIによると、日本の身体障碍者の人口は400万人以上だと言う。人口の4%である。障碍者手帳を交付されるレベルと言うことだ。これは超えなければ生きるのが難しい。①の2%と、②の4%は重複する部分があるだろう。

③ ルックス、異性獲得能力
 外見である。センター試験で足切りはされないレベルの見た目ということだが、失礼を承知で言うと、これも人口の下位10%(私の直観と偏見)が該当するだろう。しかし、ホリエモンにしても前澤優作氏でもイケメンという訳ではない。清潔な身なりをしていれば異性を獲得できるレベルには達することが出来る。特に「結婚カード」を切れば普通レベルの異性は獲得可能である。が、下位5%はかなり厳しいと言わざるを得ない。チビデブハゲだったりしたらもう厳しい。160㎝台の身長の人にマッチョを目指す人も多いがこれも努力である。そういう努力も出来ないと言う意味での下位層が10%は居る。生涯未婚率は男性28%、女性17%だと言うから、下位10%と言ったところだ。これも①、②、③と重複する可能性が高い。

これが、人生における3大必修科目であろう。
異論は許さない。
まあコミュニケーション能力というのもあるが、これは①と③に共通する気がする。
理科の中に化学があって、生物学を理解するためには化学の知識も必要だと言うのに似ているし、物理学と数学には共通点がある、見たいなものだと思う。

男の人生はカネと女、という理論にも合致していると思う。
女の人生はよくわからんが、女の人生も凡人はカネと男だと思うが、個人的には子供1本で突き抜けられる気もする(知らんけど)。

ただ、落第クラスが①下位2%、②下位4%、③下位10%だとしても。だ。
98%×96%×90%=84%となる。
つまり1科目でもアタリを食らったら足切りである。
つまり全人口の16%は自動的に足切りされる。
(ほとんどが異性なのだが)
これはかなり当たる確率だ。
スマホの課金ゲームでも16%でアタリなら相当確率は高い。
3人子供が産まれたとしたら、84%×84%×84%=59.2%
つまり、40.8%の確率で負け組確定の子供が産まれるということだ。
まあ5人もいたら負け確定の個体が産まれることになる。

たしかに親父は4人兄弟だが、一人障碍者の叔父がいたし、
母親も6人兄弟だったが、一人は死んだ。
かなりの高確率で、人生の足切りを食らう可能性が高い。 

苦手を作らないことが大事だ

私は幸いにも、どの要素でも落第点にはならなかった。
①経済力では恐らく上位1%に入る。逆に2%は生活保護者だ。
しかし、日本における貧困ラインは手取り年収127万円以下だそうで、
国民全体では15.4%がここにヒットする。
生活保護世帯を基準に前述したが、ここを基準にすると、
一気に敗者が激増だ。
特にこの点で失点すると厳しい、マジで厳しい。

身体能力という意味では障碍者でなければ、
見える、聞こえる、歩けるそのレベルがあればいい。
それでも4%は障碍者手帳を持っているというのはかなり高い割合だ。
これは天命というか運命的な要素がある。
いずれにしても健康第一である。
健康管理能力と言う観点で言うと、落第者は10%以上いる気がするのだがしかし。

異性獲得。
これも重要だ。
極めて重要だ。
だって、遺伝子を残すのが生物としての目標なのだから。
お前はサルか?
と、批判される可能性があるが、
それでも私は敢えて言う。
女(男)を獲得できないと、メンタルが狂う。
無自覚に狂う。

と、思う。
完全に本能を支配するなんてことはできない。
結局脳に悪い影響が出てくる。

①カネ、②健康、③異性

この3科目、全て失点してはならない。
全部合格点をそろえなければならん。

『一族』で協力することの重要性

時代は個人主義である。
家族は親子のみの最小単位に分割されて、核家族化が進んでいる。

核家族化によって失われた機能を代替するために、
政府や企業が商品、サービスを提供している。
家電製品は家事労働を大幅に省力化したし、
保育園がジジババを孫の世話から解放した。
ジジババ機能を保育園が担うようになったのである。
さらに共働きは家事代行サービスによって代替される。
家事代行サービスを上回る生産性を出せる人限定ではあるが。

まさに資本主義の本領発揮であろう。
そう、分業体制の確立だ。
しかしだな、カネ、健康、異性という必修科目に関しては、
自分で何とかするしかない。
カネの問題、健康、異性獲得(子孫繁栄)だけはどんなサービスでも
根本的には解決できない。

投資セミナーはあるが、利益を直接的に渡してくれる商品など、ない。
それは詐欺だ。

セツ子、、、、、それは投資やない、、、、詐欺や。
健康は医者がある程度正常に戻してはくれるが、
最終的には健康管理は自分で行うしかない。

結婚相談所もあるが、
最終的に成婚、円満な家庭運営できるかどうかは本人次第である。

さて、
そこで重要になるのは、一族での一致団結という概念である。
兄弟であっても、才能、能力に個体差がある。
お互いの短所を長所で補い合うのである。

加藤ひろゆき先生が北海道で、姉、妹兄弟と連帯して
繫栄を実現しているが、これなのだ。

兄弟のDNAはほとんど一緒である。
かなり近い。
自分が子供を作れないのであれば、
兄弟の子供を育てるのに協力する。

これは非常に理にかなっている。
生物的に正しい行為である。
生物的に正しいという水戸黄門のような印籠を御旗に掲げて
協力し合うのだ。

私の兄弟は残念ながら岩手、北海道、千葉、と散らばってしまったが、
これは集住して協力するのが正しい選択だ。
今更集合できないので、私の兄弟はあきらめるしかないが、
私の子供世代はなるべく集住、協力し合う方針である。
なるべく近くに住め、遠くに住むなら支援は弱くなるぞ、
嫁は千葉県内でなるべく探せ、等々。
中には経済的な力が弱い個体もいるだろうが、
そいつの住む家、勤務先くらいは用意できる。
それで最低限子孫繁栄を頑張ってくれれば、
その子に逸物が産まれて、SAT一族の中興の祖になってくれるかもしれない。

一族で団結して、弱点をカバーし合いながら、
経済、健康、子孫繁栄を成し遂げるのだ!

つづく