四方がふさがれた感覚
融資が出にくいし、物件も高い。
そんな状況に閉塞感を感じる今日この頃。
「勤め人卒業への道」の途中に武蔵坊弁慶のような強敵が立ちはだかって
「とおせんぼ」されいているような感覚だ。
勤め人をこのまま続けるしかないのか?
悩ましい日常だ。
状況はそれほど悪くはない
確かに閉塞感はあるものの、
所有物件は全14室 満室となった。
3月の繁忙期を迎える前に、満室である。
この点は非常に良い。
3月からは順調に口座にキャッシュが増えていくことだろう。
さらに妻の実家の相続も完了した。
妻は実家の法人と不動産を相続。
キャッシュは兄と姉に相続。
物件は古いものの、家賃は年16百万を得ている。
無借金なのでキャッシュフローも良い。
まあ、妻の財産をアテにするつもりはないものの、
万が一私がいなくなったとしても子供の成長に懸念がないのは安心だ。
クダラナイ生命保険に入る必要もない。
また、勤め人も安泰である。
流石に40を過ぎてヒラ社員にすがり続けようとしている無理が出て、
運用ファンド2つの責任者に任命されてしまった。
さすがにいつまでも現場だけ見ていればいいという立場でもなくなってしまった。
一番面倒な調整仕事を与えられたのは残念だ。
しかし、勤め先の待遇は極めて良好だ。
TV局や総合商社に劣らぬ待遇である。
なおかつ昨今のコロナ問題も逆に追い風になり、
向こう5年程度は盤石なビジネスである。
金融系の仕事ながら、
「競争状態にない」
という、市場においてかなり特殊なポジションに陣取っていることが大きい。
詳細は言えないものの、
こんな商売が存在していること自体奇妙である。
私が育ったサービサー業界は同じ金融であり、血で血を洗う競争を強いられているが、
そんな厳しい環境から距離を置けている。
子供も順調だ。
長男はソコソコの私立中学に合格したし、
下の二人の子供も障碍もなく元気だ。
元気であればそれに過ぎたことはない。
私は全てを手にしている。それなのになぜ勤め人を卒業したいのか?
仕事、副業、家族、健康
いずれも順調でなんの憂いもない。
周囲からすれば何を望む?
という環境を私は得ている。
さらに私は『勤め人を卒業してニートとしてフラフラ暮らしたい』と言う。
何という強欲であろう。
しかし、私はそれを求めてしまう。
あらゆる束縛を粉砕して完全なる自由を手に入れたいと望んでいる。
自由になって何かしたいのか?と問うてみる。
ニートになって世界一周したいという希望もない。
YoutubeやSNSで有名になるなどまっぴらゴメンだ。
本を出版したいとも思わない。
喫茶店を始めたり、飲食店や新しい商売など死んでもやりたくない。
ただ、1日適度な運動をして、読書をして好きな思想家の本や歴史書を読み、
ゲームでもできればそれでよい。
いや、むしろそれこそが私の求める自由なのだろう。
ずっと束縛を感じてきた人生
私の父親は兼業農家の農協職員。
母は共働きの看護師であった。
祖父は百姓の7番目に産まれたから「錠七(じょうしち)」という
適当な名前であった。
田んぼ1枚も持たない百姓である。
ちなみに菅総理の実家は豪農である。
私と違ってボンボンの息子で、実家を継ぐのが嫌で東京に逃げてきたのが菅総理だ。
ちなみに実家のパワーはほぼゼロだ。
父は借金とそれまでの節約で必死の思いで学費を払ったようだ。
私が大学を出るまでに借金を背負わずにいられたことは幸運であった。
しかし、私は小さい頃から農業と畜産、林業の手伝いを強要された。
それが嫌で高校から実家を離れることができる遠方の進学校を選んだ。
私は束縛から自由になりたかったのだ。
しかし、高校へ行っても不自由だ。学校には行かねばならぬのだ。
勉強やらスポーツで差別される社会。
私は勉強で差別する側に回る選択をして大学に進んだ。
さらに大学の先には社会に放り出されるのだが、
当時は「聖丁(@Fist_of_Phoenix)」のようなことを教えてくれる人もいない。
自分で理論を編み出すような頭脳も持っていないから
仕方なく食うために勤め人になった。
まさに強制と不自由の中で20年も生きた。
必死にもがいてカネを手に入れようとして
ここまで来たが、
まだ、私は不自由だ。
家族がおらず、1人であれば勤め人は即辞めている。
辞めてプラプラできる程度の家賃はあるのだ。
しかし今、それはできない。なぜなら家族の生活の面倒をみなければいけないから!
気が付いてみたら、なんと自分に不自由を強いているのは
「家族」という事になってしまった。
私は自分がしでかした責任を放擲して
自由になる選択はできない。
(仮に捨てたとしても養育費という法的な請求がくる)
自分の行為で妻を娶り、
子供を作ったのだから、
誰も責めることはできない。
自分の責任である。
つまり私の感じている不自由とは、
自分で自分が招いた結果なのである。
一周回って「/(^o^)\ナンテコッタイ」 だ。
結局、他人からすればうらやむ人生を得た。
それでもなお、不自由を感じる。
その正体が何かと問われたら、
なんのことはない。
自分自身が作り上げた束縛を振り払おうともがいていたのだ。
さらに私にはまだ、
不動産で勤め人卒業した先輩方への劣等コンプレックスがある。
その本質は単なる自縄自縛。
自分でかけた縄を解くために私はいまだに戦っている。
つづく