貧富の差が拡大するのになぜ革命が起きないか

資本主義の分析

マルクスは言った。資本主義が完成した社会で共産主義が産まれると。

上記のようなことを言ったと言われている。
資本主義が完成した社会とは即ち、
アメリカや一歩遅れた日本のような社会である。

貧富の差はかつてない程に拡大している。
持てる1%が99%の富を保有し、
持たざる99%が貧困化する。

日本は消費税率を10%に引き上げた。
消費税は累進性がなく、
貧乏にも富貴にも同じ「絶対額」を課税する。
貧富の差を拡大する税制である。

昭和時代と比較して高所得者への課税は甘くなっているし、
法人を使った節税。
配当課税への軽減税率等、
貧富の差を拡大する政策が実行されている。

まさにマルクスが言うように、
資本主義の問題が拡大していき、
搾取されている労働者がそろそろ共産主義革命でも起こすのではないかと思える。

しかし、私はそれは起きないと思う。
フランス革命や明治維新などと比較してそれを考えたいと思う。

現代には抜け道が用意されているから、革命には至らない。

江戸時代。
士農工商という身分社会に階級は固定されていた。
フランス絶対王政の元では貴族と平民に階級が固定化されていた。

この階級の固定化が大いに革命の土壌になると私は思う。
なぜならば、武士にも貴族にも無能な人間が産まれるからだ。
貴族の子が貴族になる社会が続くとする。
少数の貴族から
有能な人間が誕生する数は当然少ない。

一方多数派の平民には優秀な人材が産まれる数が当然多いだろう。
少数のバカ貴族が、優秀な人間を含む平民を支配するシステムは、
平民の不満を招いて爆発するのだ。

確かに鎌倉幕府の源頼朝。
足利幕府の足利尊氏。
江戸幕府の徳川家康はいずれも優秀なる名君であったろう。

しかし、その子、そしてその子の子孫は有能であるとは限らない。
天皇家でさえ、変な人は産まれていたのであり、
名君の子が名君であり続けることは期待できず、
最終的には滅びを迎えてしまった。

現代の資本主義が大いに優れているのは
下層民から産まれた優秀なる人間にも、
それなりに成り上がることができるルートが整備されている点にあると思う。

私だって現代であれば起業して、数百億円の富を得ることが可能である。
そしてその可能性があらゆる人に開放されている。
政治であっても、ある程度名家の子息は有利であるが、
例えば私でさえ、これから選挙に立候補して大臣になることは可能である。

優秀な人間が成り上がるルートが存在すること。
これが革命を防ぐためのシステムとして現代では資本主義に組み込まれていると思うのである。
階級が固定された中世との多いなる相違点である。

天才が万民のために立ち上がる時代じゃない

中世であれば、天才が集まり、暗愚なる暴君を打倒する革命のインセンティブもある。
しかし、現代では起業して成り上がることもできれば、
選挙に立候補して天下を差配することも可能だ。
天才が革命を起こす必要はなく、「ある程度」成功できてしまうのが革命を防いでいると思うのである。

例えば聖丁のような大人物も、戦国の世に産まれていたら天下に覇を唱えたことだろう。
あるいは織田信長の生まれ変わりかもしれない。
しかし、現代にあっては「それなりに」成功するルートもあるわけだから、
そのルートを辿ってそれなりに成功する。
革命は起きないのである。

一言で言ってしまうと、それこそが「アメリカンドリーム」「逆転人生」であり、
要はガス抜きなのである。
このガス抜きの恩恵を受けるのは資本家であろう。
彼らは革命と言う恐怖のイベントが発生しないようにできるし、
上手く貧乏人から稀に産まれる天才が制度をひっくり返さないようにガス抜きをするのである。
その証拠に麻生(学習院大学卒)氏、安倍(成蹊大学)卒という、
平民に産まれていたら絶対に成り上がることができないような人物も
総理総裁になることができる。

ガス抜きとしてスキャンダルで退陣することもあるが、
彼らの絶対的な経済基盤は揺るがない。
階級は確かに固定化されてはいるものの、
少数の平民出身の天才は「それなりに」成功できるのだから
革命には至らないのだと私は思う。

ウマいシステムが考えられたものである。
衆人を御するにはかくあるべし。

つづく