聖丁より先に産まれた聖丁ファン

考え方

挫折して勤め人となりしか

司法試験を挫折して勤め人となった24歳の私。

今思えば私は努力していなかったのだと思う。
産まれて、学校へ行き、部活をして、
宿題をして、漫画を読んで、ゲームをしていた。

ただ、生きていた。
周囲の世界に対して、多少の不満はありながらも、
ありのままに受け入れて生きていたのだ。

学校へ行き、宿題をして、課された宿題をやっていたら、
いい大学()に合格していただけの話だ。
そのまま惰性で司法試験もいけるのだろうと思っていた時に
壁に当たった。

天才野球少年が甲子園まで進み、
甲子園のベスト4で敗れ、ドラフトにカスりもしない。
そんな状況と同じではなかろうか。

思えば私は、本当に努力したことも
自分の頭で考えることもしないまま、
産まれ持った才能だけで、
ソコソコの学歴を手に入れたのだ。

もっと頭を使い、死ぬ気で司法試験に取り組んでいたら、
きっと私は弁護士になれていただろう。
しかし、
弁護士になっても、周囲の天才的才能を持つ弁護士との競争で勝てず、
どこかで挫折していたと思う。

天才的なヒラメキで就職に切り替えたとしても、
いわゆる「一流企業」で同様のカベにぶち当たっていたであろう。

いずれにしても私はこの資本主義ゲームのなかでは、
ソコソコの手札しか持たずに産まれてきた存在に過ぎなかった。

経営のセンスもない、人をまとめるリーダーシップもない。
研究や勉強の分野でトップに行ける素養もない。
女に革命的にモテるわけでもない。

生物として優れていない私は、
仮に資本主義ならぬ、野生動物としても
本来子孫も残せずに野垂れ死んでいただけのしょうもない個体なのだ。

挫折して、就職した低スぺ企業

いわゆるキラキラ一流企業ってヤツは、
新卒一括採用だ。
私はそれを蹴って司法試験を受けたので、
入り込めるのはイマイチな企業ばかりだ。

私の判断がナイスだったのは、
そこで、2流の人気企業を選ばなかったことだ。

私が選んだのは大学のゼミでやっていた、
新しい業界だった。
1999年に始まった業界だった。
世の中に不良債権があふれて、
その処理がおっつかないから作られた業界である。

まあ、その話はさておき、
とにかくその業界の給料は安い。
若さも相まって安い。

その給料の安さに耐えきれず、
投資用不動産業界に転職したが、
半年で逃げた。
あまりにブラックだったからだ。

私は転職前の業界の別会社に転職して決意した。
不良債権処理と投資用不動産会社を1年ずつに過ぎないが、
重要な2社を経験して勤め人+不動産投資という世界に活路を見出すことが出来た。

私は27歳になって、
安い給料の企業で働きながら、
大家になろうと決意したのである。

その目的は新卒で良い会社に就職した同僚や、
弁護士、検察官、判事になった同級生たちの給料に並びたい。
そんな程度の低い目的意識だったのである。

今思えばバカバカしい目的意識ではあったが、
私は人生で初めて、自分で生き方を決めた。

勤め人+大家業が完全に噛み合う



『勤め人は500万でいい、20年かけて不動産で500万稼げれば
年収1,000万だ、同級生にはいずれ並ぶ。』

そう思って走り始めた。

しかし、走りだすと、
勤め人と大家がガッチリと噛み合う感覚が出たのだ。

30歳、33歳と年齢と職務経験を経るごとがに、
私の年収は上がった。
結婚もして子供もできたこともあろうし、
転職して年収800万円まで一気に増えたこともある。

さらに不動産投資は手堅く推移する。
都心の区分、東京都ないの戸建と、順調に増えた。
そもそも大家業で失敗したヤツらの不良債権を回収するのが
勤め人の仕事なので、
私は失敗事例をよく見ている。
さらに読書によって「正しい不動産投資」を身に着けていただので、
私は失敗しないのだ。

33歳で4回目の転職をした時、
私の給与は、同級生達のトップクラスの水準を超えた。
給与だけで超えたのだ

さらに私には不動産収入もある。
年収は総合商社の部長クラスになった。

しかし、生活は質素だ。
低スぺからスタートして、
大家という「攻撃と防御に優れたビジネス」を副業にしたことで、
資産が加速度的に増加していった。

じつに馴染(なじむ)、
ジョセフの血を吸ったDIOのような気分だった。

そんな2018年、聖丁が出現する。

私は、自分が豊かな人生を手に入れたのだと理解していた。

他人が信じられないような貧しさであることは
しばらくして分かった。

なぜコイツらは貧しいのか?
私は深く考えなかった。

「まあ努力が足りないんだな」

その程度で片づけていたのだ。
私達が普通に生きていて、
アフリカの貧困な村の住民の生活を推測する必要がないように、
ライオンが地球の裏側のアザラシの生活を思う必要がないように、
私は興味を持たなかった。

私生活で多少のトラブルは抱えながらも、
私は成功した余韻に浸っていたのである。

そんな2018年である、
聖丁がVoicyに出現したのである。
なんと、この人物は私より若く、所有物件も少ない。

ふんどし王子という若手大家も確かにいた。
しかし、私は富山県に興味がなく、
富山だから成功したもので、私には無関係だと思ってしまった。

私がなんとなく、現状を打破するために、
試行錯誤してやり遂げたことを、
聖丁は論理的に説明した。
私は気づいてしまった。
自分がやっていたことは、これだったのか。と。

なぜ自分が勤め人大家で豊かに生きていられるのかを、
理屈で説明されてしまったのである。
貧乏人がなぜ貧乏なのか?
私は「努力が足りない」と思っていたのだが、違った。

私が豊かなのは、努力したからではない。
彼らと私の違いは単に立っていた場所が違ったのだった。
「勤め人だけでは豊かになれない。」


私はVoicyで質問をしたことがある。
私生活での悩みである。
たまたま聖丁が回答してくれたのだが、
その解答でも救われた。

詳細は避けるが、
私が悩みだと思って相談していた悩みに対して、
聖丁は「それは素晴らしい」と回答したのだ。

ああ、そうか。
これは悩みではなく、勝った者の娯楽だったんだ。
そんな回答だった。
悩みを相談したのに、解決策ではなく、
それは悩みじゃねえ。
という回答を得たことがあった。
懐かしい話になってしまった。

とにかくだ。

自分が試行錯誤して編み出した独自の技を、
ひょっこりやってきた通りすがりの若者が
「それはこういう理屈で強いんですよね」
と、突然解説して見せたようなものである。

私は生まれるのが少し早かった

残念なことだ。
私はあと10年遅く産まれたかった。
20年遅く産まれていたら、
大学生のうちに聖丁ラジオを聞いて、
恋愛、就職、起業というルートを早く回し、
30代には悠々自適に生きられたことだろう。

伊達政宗は自分の生まれが遅すぎたことを悔やんだが、
私は早すぎたことを悔やむ。

今の若者は実にうらやましい。

せめて私の息子達が高校生になったとき。
私が聖丁の教えをしっかりと身に着けておき、
自分の言葉で資本主義ゲームの攻略法を語りたい。

そのまま聞かせたのでは意味がない。
私が理解、実践した上で、私の言葉で語らねば意味がない。

つづく