織田信長に学ぶ凡人のすゝめ

落とし穴

織田信長

無論、私は凡人です。

聖丁が以前Voicyで語っていたと思うのですが、
織田信長には軍師という存在が不在であった。と。

確かに、武田信玄にも、山本勘助がいたし、
豊臣秀吉にも竹中半兵衛、黒田官兵衛がいた。
徳川家康にも、本田正信がいたし、
戦国大名は合議、会議を重視していたような気がする…。

織田信長に関しては独断で進めるイメージがあり、
様々な歴史モノの小説、漫画でも独裁で物事を進めている。

一方でその革新的な政策は成功にも繋がっており、
合議というシステムからは生まれなかったであろうとも思わる。

例を挙げれば
戦国大名の多くがその本拠地をあまり移動させなかったが、
(武田信玄は甲府、上杉謙信は春日山城、北条は小田原…)
信長は清州、岐阜、安土と、必要に応じて居城を変更させていく。

戦国大名の多くが土地に紐づいていたのを
切り離したという点も革新的です。
これは農民兵が主力であった戦国時代にあって、
貨幣で常備兵を雇う、兵農分離と組み合わせたことも大きい。

そして貨幣を潤沢に確保するために、
楽市楽座の政策とも繋がっており、
その政策やビジョンがいずれも当時からして革新的であったと思う。

苦労の連続

また、織田信長は苦労の連続の人生だったと言える。
そもそもスタート時の領国は尾張の一部に過ぎず、
内紛状態が絶えなかったし、
西に今川、北に斎藤と、強力な戦国大名にも囲まれていた。

そして、今川は大群を擁して上洛の過程で踏みつぶそうとしてくる。
辛うじて撃退してから美濃を制圧するまでにも8年もかかっている。
将軍を擁して上洛したまでは良かったものの、
朝倉攻めでは退路を同盟関係にあった浅井に断たれ、
普通ならそこ(金ヶ崎)で死んでいる。

足利義昭の包囲網が敷かれ、
盟友の徳川家康が壊滅し、美濃の東半分を奪われる。
この辺りが信長生涯の危機の最高潮だと思う。

その後、武田信玄が死んで、朝倉、浅井を滅ぼしたものの、
越前は一向一揆に奪われている。
信玄の死後は機内の統一を順調に進めているように見えたが、
松永久秀、荒木村重と反旗を翻されること頻々。
さらに上杉謙信とも戦って手痛い敗北も喫している。
やっと上杉謙信が死んで、武田を滅亡させたら即光秀の謀反。

苦労に苦労を重ねて最後は裏切られて死んでしまった。

天才は羨ましいようで、実は羨ましい存在と思う。

私も昔は天才が羨ましかった。
野球の天才、勉強の天才、経営の天才など。
自分の能力をはるかに上回る圧倒的な能力が羨ましくて仕方がなかった。

しかし、織田信長の人生を生きたいかと言われれば、否。である。
高い成果を出せない人間が許せない。
(佐久間信盛、林秀貞、安藤守就)

自分では当たり前のことが、
普通の人間から異常扱いされてしまい、嫉妬や恐れの対象にされる。

経営の天才も、凡人から見れば、無駄に厳しい人だと思う。
「何そんなに頑張ってんの?」
と、冷めた目で見られることも多いだろう。
日本は特にその傾向があると思う。

私は、やっと40代になって、凡人でよかったと思い始めている。
私が天才であったら、現状にはきっと満足できなかったと思う。
女優と付き合いたいとか、宇宙に行きたい、目立ちたい。
という天才が天才たる所以でもある、本能的な働きかけから
自由になれなかっただろう。

ソコソコの学歴が得られるアタマがあり、
女性から嫌悪されずに、1000人に1人くらいからは好かれる顔立ちをしていて、
背も過剰に低くもなく、
過剰に肥満もしない。
年収も高く、カラダも丈夫。
欲はなく、年収2,000万円もあれば欲望が全て満たせる。

私はつくづく幸せなのかもしれない。
誰かから羨望されることもない。
恨みを買うことも少ない。

小さな幸せで満足できる。
平和な生命体である。

私が私で良かった。

をわり