節度ある飲酒も喫煙もありえない

禁煙・禁酒

一時禁煙していたが、再度喫煙者となりました。

さて、
飲酒の機会がめっきり減り、
非常に健康によい環境が続いています。

お陰様で飲酒の機会がなくなり、3カ月ほど飲酒していないかもしれません。
勤め人にも関わらず、そろそろ仕事の付き合いでも酒は断ろうかなと思っています。

さて、一時私は禁煙禁酒に肉食の禁止と言う、
宗教家真っ青な生活をしていました。
今は喫煙と肉食は再開していますが、
禁酒はそろそろやめようかと思います。

ところで、一度禁煙と禁酒に成功してる私には
おススメの書籍があります。

禁煙セラピーと禁酒セラピーです。

やめたい!という人にはおススメですし、文章を読める人ならば9割程度の確率でやめることができると思います。
喫煙に関しては私はやめる気がないので、やめませんが、
飲酒に関しては明らかに脳と内臓に悪いのでゼロに持っていきたいと思います。

節度ある飲酒も喫煙もありえない。

禁煙に関しては「ALL or Nothing」という傾向がある気がする。
しかし、
酒に関しては「節度ある飲酒」
「たしなむ程度の飲酒」
ということが推奨されている。

「酒は百薬の長」とかいう、
私に言わせれば狂った言説もある。
そもそもタバコも薬として流行したことを忘れてはいけない。

そもそもお茶も喫すると言う。
タバコも喫するのだ。
酒は喫するとは言わぬ。
薬ですらない。

それはさておき。
酒の適量はゼロである。
1㍉グラムでも摂取しない方が良いに決まっている。
なぜならば1㍉摂取した時点で1㍉グラム分の依存がスタートするからだ。

タバコだろうが、アルコールだろうが、砂糖だろうが、
わずかでも摂取したら次が欲しくなるように、
本能に訴えかけてくるのである。
だからビールは2杯までとか、
タバコは1日5本まで、とか、
甘いものは週1回とか、
これらの「コントロール」の試みは失敗することが宿命づけられている。
稀に強靭な意志力を持つタイプの人間が、
意志力でコントロール(?)をしているのを見ることがある。

ちょっと考えて欲しい。
適量でやめるように意志力を発揮しなければいけないとしたら、
その目的は何か?
そもそもゼロにしてしまえば、貴重な意志力を浪費しなくて済むのではないか?

禁煙にしても禁酒にしても、砂糖にしても、
1㍉でも摂取したら禁断症状が始まる「毒物」である。
それをわずか摂取させておいて、「適量が望ましい」
というのは詐欺ではないか?

そう、実際、酒、タバコ、砂糖は経済を支える一大産業であり、
多額の税金を回収できる手段でもある。
一応「適量を」と、配慮したフリをしているが、
実際は1gでも摂取したら依存性があって中毒症状が出る。
少しでも摂取してもらえれば「依存」が始まるのだ。
即ち摂取はゼロにすべきなのだ。

まぁそんなわけでここにしっかり書いて、
禁酒を徹底させようと思います。
禁煙はそのうちまたやるかもしれません。

つづく