私はいつも、
「早く結婚してしまって、子供がいるから、勤め人卒業ができない」
という論法を使っていました。
最近学んでいるアドラー心理学的に言うと、
「目的論から解釈してみよう」ということになります。
つまり、
この言い訳をすることによって、
私が得ている現実は
① 勤め人を卒業できない自分は正しいという正当性
② 自分もその点を間違えなければ卒業できていた。という仮定の中での勝利
この2点かと思われます。
つまり、私は家族が存在することを言い訳にして、
自分が勤め人を続けながら不動産投資で資産形成していくという現実を手に入れているのです。
本当に私がしたいことは、
誰からも強制、命令されない自由。
それも経済力を持った上での自由です。
今、勤め人大家としての私の得ている自由はどちらも中途半端。
勤め人として働き、
十分とは言えない程度の不動産収益を得ている。
この状態を正当化する理由として家族を早く持ってしまったことを言い訳にしているのかもしれません。
ある意味では「厄年」という事実でさえ、
自分が一歩踏み出さないことを正当化しようとする試みなのではないかと思います。
このぬるい現実を変更する「勇気」が私にはないのかもしれない。
そんな風に思いますが、
結局労働法にまもられた勤め人で、
手堅い不動産でセコセコ運用しておくのが一番手堅いなと。
折角若い時に苦労して今の地位を得たのに、
無理をして攻める必要もないというのも正義なのかもしれません。
やる
にしても
やらない
にしても言い訳はどうとでも作れるわけです。
結局は自分のやっていることを何かで取り繕って正当化しているだけ。
実際勤め人卒業している人でも妻子持ちは多いわけですから、
家族にコストがかかることを言い訳にするのは辞めようと思います。
でも、繰り返しますが、
若くして経済的に不自由がないニートになるためには、
結婚は悪手です。
それは事実であります。
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