汗水たらして労働することばかりが尊いわけではない
日本人のいわゆる「伝統的価値観」からすれば、
労働が尊くて、不労所得は軽蔑するべきもの。
そんな固定観念があります。
「不労所得」なんて口に出すだけでも恥知らず!
という古い価値観が未だに幅を利かせているのが実情です。
しかしながら、我々の世代でそんな古い価値観からは決別する必要があります。
是非皆さんもその価値観とは距離を置いて下さい。
資本主義社会においては労働も投資家も同じように尊いのであって、
労働者の持つ労働力という商品。
投資家の持つお金という商品。
これが市場で取引されることで成立するのが資本主義なのですから、
どちらも「商品」という意味ではニュートラルであり、
上位下位の概念はありません。
投資家が居ないと不便な世の中にもなる
外国為替取引がありますが、
ドル⇔円の交換については相場が形成されており、
いつでも両替ができます。
この市場には投資家が居て、色々なデータや情報をもとに適正な価格をそれぞれがイメージし、そこから実際の取引価格が乖離していることで、将来の価格を予想しながら取引をしているのです。
彼らが一切存在しなかったら、
ドルで支払いをしなければいけないときに円を売ってドルを買う事ができません。
同じく円で支払をしたくてドルを売ろうとしている人を探して取引して、交換しなければいけません。
大変不便な世界です。
しかし、現実には投資家が存在し、円ドルの為替レートが存在していますから、私たちはハワイに旅行したら円をドルに換えて現地で買い物やサービスの対価としての支払をすることができるのです。
その意味で投資家も資本主義経済にとっては重要不可欠な存在であると言えましょう。
資本主義経済の国民で投資をしない人はほとんどいない
資本主義経済では、生産設備という資本を持つ者が、労働力を買い取って商品を製造します。
労働者であっても、最近は自宅を買います。
これも労働力を再生産するための設備への投資です。
より効率的に収益を上げるために「投資」をし続けることこそが、
資本主義の本質であるとも言えましょう。
完全に親に寄生しているニートなどは投資をしないかもしれませんが、
専業主婦でも、より効率的に家事サービスを行うために、洗濯機や、食器洗い機などの設備投資を行います。
税務申告上は(費用)として落とされますが、これも立派な投資です。
不動産投資も立派な資本主義の中で昨日している経済単位だ
例えば森ビル。
港区の権利調整が難しい土地を粘り強く交渉して、土地をまとめ上げ、
巨大なビルを建築して家賃を得ています。
まさに私が12号物件(再建築不可)の隣地を買い取り、
立派な1戸建が建つような土地にまとめ上げようとしているのとまったく同じです。
そのままでは役に立たない土地を1つの経済単位である家族が生活できるだけの、「適法」かつ十分な広さがある住宅を建築できる土地に仕上げるわけです。
これを税金を使うことなく、民間のマネーだけで行うわけです。
私の負担で、リスクを取って、東京都いう巨大経済圏に1つの土地を供給するという、本当に尊い行為ではありませんか!!!!
おまけに私は勤め人としても労働力を売り、その傍らで、不動産の小さな開発まがいのことをして、一般の労働者の2倍以上の経済規模を実現しています。
おまけに今のところ社員は自分だけです。
感謝以外の感情は受け付けませんので、ご了承ください。
まとめ
資本主義経済においては投資は労働と同じく等しい。
正々堂々と投資に励まれたし!
をはり