島津 義久(しまづ よしひさ)
生誕 1533年3月4日 ~ 死没1611年3月5日 享年79歳
(C)コーエーテクモゲームス All rights reserved.
統率 84
武勇 70
知略 83
内政 83
外政 93
優秀です。
戦場は弟たちに任せていたので
相対的に低い気がしますが、
実際はもっと剛勇の人物だったのでは
ないかと思っています。
志は「三州の総大将」
三州の総大将にふさわしき
徳を身につける
さすれば、
自ずと道は開かれそう
「薩摩兵児(さつまへこ)」
泣こよかひっ飛べ
敵の首を取るに迷いは要らぬ
「いろは歌」
いにしへの道を聞きても唱へても
我が行ひにせずは甲斐なし
三州とは
薩摩、大隅、日向で
今の鹿児島と宮崎県です。
肥後は含まれないのですねえ。
祖父の島津忠良が
島津義久を評して
このように言ったということからこの志が来ているようですね。
「若き衆中は、武芸角力(すもう)
水練山坂歩行、平日手足をならすべきこと」
との掟が定められた島津家において、若者たちは
厳しい鍛錬で毎日汗を流しました。
この鍛錬と教育の結果として生まれたのが、
命知らずの精兵・薩摩兵児(さつまへこ)です。
基(二の太刀要らず):決戦で初撃の攻撃力が大幅上昇
条(種子島):鉄砲部隊の攻撃力が上がる
条(捨てがまり):戦況不利で潰走した部隊が捨てがまり
悪(火の山):開墾の効果が下がる
いろは歌
島津家中興の祖・島津日新斎が遺した「いろは歌」
は薩摩における教育の規範となりました。
領主が民に理想の人物像を示すことで、
国には一体感が生まれ、有能な人材が次々に輩出
されることになります。
基(肝練):敵より兵数が少ないと部隊の攻撃力上昇
条(尚武の気風):家臣の成長が早くなる
条(征奔):農兵・足軽の募兵速度が上がる
悪(排他性):決戦時に他勢力との連合軍になると部隊の戦闘力が下がる
島津…私は好きではない
画像は秀吉に屈する島津義久。
私は島津はそれほど好きではない。
理由は旧日本軍。
どうも旧日本軍のやり方は島津の戦のやり方に酷似しているのだ。
釣り野伏という奇襲のやり方
捨てがまりという自殺戦法
島津の退口(義弘の回で取り上げます)
どうも特攻や玉砕、
兵站を重視せずに島津義弘に駆け付けた薩摩兵に被る。
彼らの島国根性が日本全体を牛耳るとろくなことがない。
そもそも明治維新こそ
軍事クーデターですし、
明治から太平洋戦争までの旧日本の
悪いところが全部出ている気がします。
だから島津はあまり好きじゃないのです。
しかし強かったのは認めます。
随時加筆していきたいと思います。
アイコン画像に悪意を感じますね(笑)。