実は、学校のクラスメートと同じ
息子が学校に行かない理由を適当に言っている。
話し相手がいないということを言っていた。
アドラー心理学でいえば、
息子が学校に行かない理由は、
行かないと言う目的があるからであって、それ以上ではない。
行かないという目的を説明するために、
話す友人がクラスにいないという理由を作り出しているに過ぎない。
勤め人をしていた初期まで、
私も息子と同じような悩みを抱えていた。
仲良くできないヤツがいる。
まさに1社目ではそのクソ上司が、退職の理由となるのだが、
今では、「仲良くする必要がない」と理解できる。
仲良くしなくていいのである。
パワハラがひどかったが、自分の仕事は、
担当案件につき、最大回収を実現することなのだから、
ただ、それを実行していれば良い。
学校も、授業を受けて、学力を向上させて
社会的評価の高い学歴を獲得すること。
これだけでいい。
小、中、高と、全てのクラスメートと他人であってもいいし、
実際私の場合、人間関係がキレイサッパリ切れている。
たまたま、同じ年に、同じ場所で産まれたから
同じ箱にブチ込まれただけだ。
仲良くなるか、憎しみ合うかは分からないし、どうでもいい。
毎回言っている通り、
学校システムは、「勤め人養成システム」である。
会社員同士仲良くしてくれるように
同級生同士仲良くしてくれると、
経営者は楽だし、学校の先生も楽である。
経営者や先生方のために自分を殺して仲良くする意味はない。
メリットもない。
その前提が重要だ。
社員同士をチームにしようという圧力
経営者からすれば、
社員同士が、あたかもスポーツチームのように、
自分を犠牲にしてチームの為に尽くして、利益を出すことが最高である。
だから、あたかも学生時代の部活のように、
「無償」で頑張るように仕向けてくる。
俺は本当にこれが嫌いだ。
そもそも、給料をもらうために、何の同意もなく集められた集団だ。
刑務所でたまたま同じ房に入れられたようなものだ。
高校の強豪運動部のように団結して勝利してくれたら最高である。
それも低給与でやってくれたら最高に最高である。
スポーツをやっていた学生が評価されるのはそういうところである。
チームのために、残業もいとわずに自分を犠牲にしてほしいのだ。
逆に勤め人としては、これに乗せられないように気を付けねばならない。
社員同士は別に家族でもなければ友人でもない。
タダの同僚だ。
縦の契約ラインでは、労働力の提供と対価としての給与の支払い。
これだけである。
横の契約、つまり社員同士の契約は存在しないのである。
勝手にチームにしてくれることまでは構わないが、自己犠牲を求められたら、
明確に拒否しなければならない。
やりがい搾取である。
ただ、会社が指示した研修に参加しない。
研修であからさまな反抗的姿勢というのは悪手である。
自分が経営者ならどうしたいか?
考えて見ればよい。
経営者としては労働者をいかに給与以上に働かせるか?
必死で考えているし、給与(コスト)以下の利益に留まってしまったら、
赤字、最後は経営者としての破滅に繋がっているのだ。
そうしないわけにはいかないのだ。
せめて、チームになろうという「ふりをする」
自己犠牲もいとわない人間である「ふりをする」
ここまでは演じようではないか。
逆にそこで反抗的態度を取ってしまうと、
監視がキツくなる。
監視がキツくなってしまうと、余剰時間で、自分のビジネスを回すことも難しくなる。
仮にヤクザに道でぶつかったとしようか。
自分は回避したのだが、相手が会話をしながら歩いていたので、ぶつかったもので、
自分が100%悪くないとする。
それでも皆、謝罪してその場をしのごうとするだろう。
それだ。
それでいい。
自分が悪くなくても、謝罪1つでその場が収まるならそうしておくのだ。
ただし、実際に研修なのに残業代が支払われない等の労働法違反があった場合には、
しっかり抗議する。
譲れない一線を越えてきたら、反撃するとしても、
多少の越境はまあ、様子見しておくのだ。
友達ごっこはやめる
勤め人に限らないが、
自分と合わない人間と、良好な関係を築くように努力するのはとても疲れる。
仮に肉親であっても、合わない人間は必ず現れるし、存在し続けるのだ。
多様性とは、そのような相手も尊重して付き合わなければいけないということだ。
だが、好きでもない相手と友人になることを強制されるものではない。
その時、その場所でのみの人間関係で良いのである。
職場で求められる人間関係は、業務遂行のために必要な協力をする関係であればよい。
もし、必要な協力を求めて拒否された場合には、
それは業務違反行為であり、営利行為の妨害、経営者、株主への加害行為である。
正々堂々訴えて良い。
協力を拒否するとまではいかないが、腹が立つ行為をする。
このレベルにとどまるのが大多数であろうが、
それはまあ仕方がない。
道路にツバを吐くヤツを全員逮捕できないのと同じような、
小悪(しょうあく)である。
この場合には、腹を立てる自分の器がまだまだ小さいと思って、
受け流すしかない。
所詮勤め人の仕事だと、割り切ってやるのがいい。
特に家賃収入が給与を越えてしまった私に言わせると、
「ま、俺は給与より多い収入があるから、いつお前をぶん殴ってやめても問題ないんだがな」
と、思えることが大いに心理的負担を軽減する。
まあ、自分が選んだ人間関係じゃないのだから、
バカの相手をするところまでが、給与のうちだと思うしかない。
愚かな娘や息子の世話を引き受けるところまでが、
親の責務であるのと同じことだ。
いかがだろうか。
チーム、家族という言葉を勤務先に持ち込むのが流行っているが、
社員同士は好きな部活をやっている同士ではないし、
増して、家族ではない。
TPO(時、場所、場合)に応じて必要かつ十分な意思疎通が図れればそれでいいし、
それ以上は相手も求めていない可能性が高い。
お前は同僚に友達や兄弟、家族の役割まで求めていないか?
自戒をこめて。
をはり