20代まではいろいろあった気がする
私も若かりし頃、25歳で勤め人稼業を始めた。
資格試験を諦めて、サラ金の子会社に就職したのである。
私が大学で学んだのは「法律」。
法律は学問でありながら、
案外実社会で即使えることが多い分野だ。
(とはいえ、実務を日々ぶん回している勤め人の方が使いこなせるが)
比較的すんなり仕事に入り込むことができたのである。
しかし、そこはさっきまで大学生だった人間である。
社会人生活数年を経た社員には及ばない。
もちろん法律の扱いでも先輩の方が長けていた。
勤め人として、
最も主要なスキルはコミュニケーション能力である。
職場でモメごとを起こさないスキルだ。
挨拶、プライベートに立ち入らない。
女性への対応、話しかけるタイミングなど、
職場で必要な能力は20代で習得した。
よほど空気を読まない人でなければ、
その場に存在しているだけで学ぶことができるスキルである。
当時はパワハラ上司がいた時代であったから、
そいつの機嫌を損ねぬように、
気を付けることも必要であった。
他人のPCを覗かない。しかし、他人からPCを見られた時にヤバイことをしてない。
という、「勤め人ならでわ」の
しょうもないスキルも学んだものだ。
債務者をツメる方法、返済させる交渉術なども学んだ。
これは勤め人としてだけでなく、
大家として延滞入居者をツメる時も使えるが、
いかんせん、保証会社が機能している大家業ではあまり必要がない。
自分で保証会社を経営するとか、
保証会社を咬ませないで自主管理する、
そんなことでもなければ活用できないスキルだ。
他には「他社」との付き合い方、
但し、これは勤め人としての他社との付き合い方である。
所詮は「勤め人同士」である。
社内の「勤め人同士」と、さほど変わりはない。
お互いのプライベートは殺し、
単なる損得、利害関係の調整のための付き合いである。
これも学んだ。
20代までに
これらのスキルを学ぶ必要がある。
「いきなり経営者」よりも1年程度は勤め人をやってみて、
「勤め人とはこういうものだ」
と、理解しておく必要はあるだろう。
あくまでも経営者として、勤め人という生物を使うための理解だ。
とはいえ1年程度の話だと思う。
長くても3年で十分。
30代以降は勤め人から学ぶものは1つもない
40歳も半ばが見えた私が、
いまさら言うのも悲しいお知らせだが、
「勤め人として」学ぶことはもうない。
むしろ勤め人として学ぶべきことは経営者から学ぶ必要があるとしか言いようがない。
経営者の機能の一部を代行するのが勤め人だ。
経理、営業、人事など、本来経営者がすることの一部を機能として代行しているのが、
勤め人である以上、やむを得ないことだ。
要するにカレー屋のみじん切り係が勤め人である。
長く勤めて経営側に行かない勤め人は、
「みじん切り係」を熟達して、対価として給与を得るのみなのだ。
今日は悲しい勤め人を見た。
とある上場企業のオフィスフロアで、ガードマンをしている50代のオジサンだ。
この企業は不動産ファンドの運営をしている。
社員たちは不動産会社から仕入るための交渉をしていたり、
管理会社から上がってくる、トラブル、修繕等の対応をしている。
ある日から突然このオジサンがフロアに立ち始めたのだ。
私は思う。
「このおじさんは間違いなく、追い出し部屋としての目的でここに立たされている」
と。
このオジサンは、キッカリ9時から17時まで立っているのだ。
特にやることもない。
ただただ、立っている。
おそらく、ここに立たされるまでは、
不動産会社との交渉やら、管理会社との折衝もしてきたことだろう。
しかし、どの業務も「コイツ使えねえわ」
とのレッテルを貼られたのだろう。
さらに言えば、退職勧奨まで受けただろう。
しかし、このオッサンは辞めるわけにはいかぬのだ。
それを固辞した結果、
ガードマンという、別にいなくてもいい仕事を与えられたに違いない。
そもそもガードマンはビル自体に多数配備されている。
社員を立たせておく意味が全くないのに、
このオッサンは立たされているのだ。
かなしいなあ。
実に悲しい。
勤め人という仕事自体が、経営者の下位互換である。
ドラクエで言うとバトルマスターが経営者であれば、
勤め人は戦士、武闘家である。
経営者では学べなくて、
勤め人からしか学べないものは、原則としてない。
例外的にあるとしたら、
勤め人という「悲しい生物の生態」が学べるのみである。
脳の働きを停止して勤め人を続け、経営者を並走させる
私も勤め人生活20年という残念な状況にある。
学ぶものが少ないままに日々換金している。
しかし、唯一の救いは、
俺の商売も並走させていることだ。
20年も勤め人をしているのは
本当に悲しい事実だ。
大家業なので、「経営者()」と自慢できるほどのことではない。
それでも自分のビジネスを並走させておくことが大事だ。
何はともあれ、
勤め人はどんな勤め人でも「強制解雇」のイベントが発生する。
自主的退職であれ、
定年退職であれ、
いつかは手ぶらで追い出されるのだ。
追い出された後も人生は続く。
死の瞬間まで続くのだ。
次第に衰える身体機能、頭脳と共に、歩いてゆかねばならない。
老いていく妻と共に、生きねばならぬのである。
60歳というタイミングで、
何も持たぬまま、
勤め先から追い出されたら、大いなる悲劇となる。
若い人も必ず老いる。
早いに越したことはない。
どんな商売でもいいので、
自分で作っておくことだ。
全然難しい話ではない。
貸家を5件も買っておけばいいだけのことだ。
1軒500万だとしても2500万円。
それで1軒5万/月稼げれば年金と合わせて十分だ。
私も100万円/月の小商い(こあきない)である。
エリート勤め人であればあるほど、
その落差に絶望するのかもしれない。
エリート勤め人の定年後の人生はあまり見えないのだが、
これは隠されているのか?
単純にエリート勤め人の定年後を情報発信する人がいないだけだとは思うが…。
勤め人から学ぶこと、
結論は「ない」
となった。
だから「自分の小さな商売」を持たねばならない。
悲しいオッサンを見て今日も思うのだ。
をはり