佐竹 義重(さたけ よししげ)
生誕 1547年3月7日 ~ 死没 1612年5月19日 享年 66歳
アレ?
相当長生きしたな?と思った人は多いのではないでしょうか?
関ケ原も生きてました。
既に佐竹義宣のイメージがありますけどね!
志は「坂東太郎」
関東はこの坂東太郎義重に任せよ北条など恐るるに足らず
坂東武者
命をおしまぬ者よ いざ坂東武者と刃を交えん
常陸源氏
我らこそ清和源氏の嫡流 関東の主たるに相応しきは佐竹なり
坂東武者
義重はその勇猛さから、
「坂東太郎」「鬼義重」の異名を取りました。
北条軍と戦ったときには、
敵の多さにとまどう自軍の兵を鼓舞するために、
自ら先頭立って敵陣に乗り込み、
七人の敵を一瞬で切り伏せたという逸話が残っています。
基本(鬼義重):大名自ら出陣すると、部隊の士気が上がる
条件(冶金技術):金山・銀山のある商圏の金銭収入が増える
条件(佐竹流砲術):鉱山のある商圏から鉄砲を獲得できる
悪(後見役):家臣の成長が遅くなる
常陸源氏
北条家と対抗すべく、
佐竹家は武田家と同盟しました。
その際義重は、武田信玄と清和源氏・新羅三郎義光の
嫡流はどちらかを巡って議論になります。
最終的に信玄が義重の主張を受け入れ、
義重は清和源氏嫡流の威を背景に東国経略を進めていくことになります。
基本(源氏嫡流の風):親善の効率が上がる
条件(諸侯代表):交渉が有利になる
条件(関東の盟主):他勢力が従属に応じやすくなる
悪(利害対立):他勢力との連合軍で決戦に敗北すると戦意が大きく下がる
統率 90
武勇 93
知略 84
内政 85
外政 91
強し!鬼義重のオリジナル戦法もあって、まさに北条家に対抗できるのは
この漢のほかにはおりません。
個人的には評価はしていない
わたしとしてはイマイチな評価です。
確かに一定の優秀さは示していますが、領土拡大も中途半端。
非常に上杉謙信的な動き方をしている大名だと思っています。
信長が東を家康に任せて京都へまっしぐらに動いたのは最善。
田舎大名の悲しさで、場当たり的な対応が目立ちます。
遅れて生まれた政宗が18歳からまっしぐらに
京都の方向に勢力を拡大したのと比べて、
場当たり的に敵と事を構えるのは情けないですね。
まあ私自身の人生も場当たり的なのかもしれませんが、
それはさておき(笑)
その一環である人取り橋の戦いを貼っておきます。
人取り橋の戦い
勝負に勝って戦に負ける