伊達 稙宗

奥州伊達家
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伊達 稙宗(だて たねむね) 生誕 1488年 ~ 死没 1565年7月16日 ※享年78歳

志は「洞の主」
交わり、繋がれ
我らの血を以て、
天下を覆い尽くさん

塵芥集 

塵芥の一つに至るまで伊達家にあらば我に従うべし

洞 

血を無駄に流すは愚か血の絆を結び、家を広げるのだ

塵芥集

塵芥集は御成敗式目の影響を受けながらも、刑罰に関する項目をより多く設けており、民の保護を行おうとする意図が見られます。
また寺社を優遇するなど、武家以外からも支持を得やすい分国法だったと言えます。

基本(神仏とて例外ならず):寺・寺社のある拠点の兵糧収入が増える

条件(民事審断):勢力の民忠が上がる

条件(刑罰連座):一揆が発生しにくくなる

悪(苛烈):決戦に敗北すると民忠が大きく下がる

伊達氏は洞と呼ばれる一門や家臣の共同体の構築に力を入れていました。養子縁組や輿入れによって、近隣の大名や国人を一族に加え、安定した支配を行っていたのです。縁戚関係を結んで無駄な戦を避けるのは、乱世において有効な手段でした。

基本(子は宝なり):姫が生まれやすくなる

条件(縁定め):婚姻同盟勢力が実行している方策の場合、実行に必要な施策力が下がる

条件(朝廷工作):朝廷からの使者が来訪しやすくなる

悪(洞の遷ろい):他勢力との連合軍で決戦に敗北すると戦意が大きく下がる

統率 79
武勇 64
知略 88
内政 90
外政 98

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