違法薬物と仮想通貨をヤルやつとは付き合ってはいけない
TKOの木本氏が語っていたが、
ビットコインをきっかけに投機の世界にハマっていったという。
これは持論だが…。
詐欺される人間がいる限り、
詐欺する人間はいなくならない。
需要があるから供給があるのであって、
被害者候補がいるから加害者が産まれるのである。
(被害者が悪いというつもりはないが)
投資とは何ぞや?
という定義を明確に自覚しないままに
「増えそうだから」
という理由で貴重な現金を他人に渡す人が多すぎる。
投資とは
「元本を確保した上で適切な水準のリターンを得るべくした行動」
である。
これはベンジャミングレアム先生の「賢明なる投資家」による定義である。
そもそも、ビットコインという仮想通貨と、現実の通貨を交換した時点で、
もはや投資ではない。
買った瞬間に元本が保全されていないのである。
これは投機行為であり、現実通貨を捨てたに等しい行為である。
投機どころか投棄だ。
新進気鋭の芸術家の作品を買うこともまあ投機と言って良い。
チューリップの球根への投資も投資と言えるのは、
チューリップの花の価格と、育てるまでのコストを踏まえた、
原価の範囲まで、であろう。
投資を理解しないままに猫も杓子も投資だと。
実に片腹痛い。
敢えて注意喚起のためにも極論を言うが、
違法薬物を買うヤツと、仮想通貨を買うヤツとは縁を切った方が良い。
いつか訳のわからん投機話をもってくるか、ラリって危害を加えてくる。
速やかに連絡を遮断した方が良い。
投機は非日常、投資は日常である。
投資は息を吸って吐く。
まさに呼吸のように毎日行われなければならない。
なぜならば、投資家、つまり元本の安全性を確保しつつ、適正な収益を上げ続ける行為を行う人々にとっては引退まで行われる行為である。
バフェットの現役プレイヤーでいる長さを見ていると、
勇気が湧いてくる。
村上さんではないが、「生涯投資家」でありたいと思う。
投資とは、365日、24時間あり続けることであり、日常である。
一方で投機とは、ギャンブルと同じであり、
非、日常である。
一過性、その場限りの取引であり、投機した元金は消滅する可能性もある。
投機を繰り返すということは、
「いつか全て失う」
ということであり、それは日常たりえない。
生涯投機家なんてことはあり得ないのである。
だってどこかで全て失うのだから。
全て失っても1円から再び投機に身をささげて復活を期す生き方もあり得るだろうが、
それは日常とは言えない。
通貨とは、それを以て納税できることが要件である。
仮想通貨とリアル通貨を取引することは投機であると心に刻んで欲しい。
投機と投資のハザマ
投機と投資の境界線は実に曖昧であると思う。
私にとっては投機だと言える行為も、
その分野に精通している人にとっては投資になる場合もある。
例えばマンションの開発行為はそれだ。
私はマンションの開発をしたことがない。
(ファイナンスを打ったことはあるが)
土地を買い、建物を建てて、分譲して返済して最終的な利益を確保する。
これは私にとっては投機である。
マンション開発をしたことがない私と、
年間に何度も建築、販売をしているデベロッパーには知識、経験において
大いに差がある。
ここで投資と投機を分けるのは、
投資家(投機家)の知識と経験の差である。
知識と経験の差が
投資家の定義で言うところの
「元本を保全しながら」という分岐点を作り出す。
私がデベロッパーの真似事をし始め、
土地を仕入れる段階で、
割高で掴む危険が高い。
この時点で投機である。
一方デベロッパーは販売時の市況には左右されるものの、
経験によって最悪トントンで販売できる!
という見通しを持っている。
まあ、ここでデベロッパーがアゲアゲ相場を見越して土地を仕入れ、
不動産市況が厳しくなる可能性がある時点で投機に変わるのだが‥‥。
と、まあ投資家と投機の境界線も曖昧であることをここでは言いたい。
投資家であろうとするならば、
「元本既存のリスクがある」ことを認識した時点で「投資しない」
という結論を出せるべきだろう。
若しくは
「元本既存のリスクはあるが、リターンも相応に見込めるし、自己資金があるからこのリスクは許容してテイクする」
という判断ができ、実際にリスクシナリオが顕在化した時でも耐えられることが必要だ。
耐えられないリスクを取った時点で、投機家に成り下がってしまう。
私の投機行為
私も過去に投機行為を行ったことがある。
1つ目は武富士の株購入だ。
これは配当利回りに目がくらんで投機したものだ。
高い配当利回りを1年程度ゲットして、
元本が吹っ飛んだ。
まさに投機である。
私はこの教訓を忘れない。
30万円を勉強代として支払った。
2つ目は知人への融資だ。
2,500万円を融資している。
今のところは順調に返済してもらっており、融資金も1800万円まで減っているが、
これは投機行為だと思う。
そしてそれほどリターンも多くはない。
助けるつもりでやったと正当化していた時期もあるが、友人として助けるつもりであるならば、融資ではなく贈与すればよかったのだ。
私はリターンも期待していたのだし、
実際今も金利を得ている。
これは投機行為であり、友情にかこつけた利己的行為だと反省している。
とは言え、即刻全額返済を求めたら友人は死んでしまう。
追加融資はしないと言う条件に変更して、
残りの元本は返って来なくても諦めることに決めている。
私もかなり投機したなと思う。
投資家への道のりは険しい。
少しずつ成長していこうと思ふ。
をはり