労働者として望ましい状態だろう。
会社の目標と、
自分の人生の目標が同一視された状態。
大航海時代には、
奴隷
という、相手の自由意思を踏みにじる形で
それを白人が有色人種に行ってきた。
日本でも豊後の大友宗麟が、
南蛮の舶来品と引き換えに領民を奴隷として貿易の商品にしてきたことは有名である。
中世においては強制的に奴隷化されてきた歴史があるが、
現代ではその反省も踏まえて、
「自由意思」で奴隷にするという高度な手法が生み出された。
資本主義、税、というルールが完全に隠されてしまい、
大多数の人間に、そのゲームのルールは教えられることはない。
皆、無自覚に教育を受け、
集団生活を送っていく中で、
資本主義のルールに組み込まれてしまう。
その結果生まれた「労働者、すなわち勤め人」。
現代版奴隷ともいわれるこの労働者であるが、
昔の人がひどい扱いを受けたおかげで、
「労働法」というルールで守られている。
イケハヤ尊師などは馬鹿にするこの勤め人であるが、
少なくともフリーランスという
これはソーナンス
労働法に守られない下請け仕事をするよりは、
勤め人の方がマシな場合も多い。
ただ、あまりに勤め人という働き方が一般化しているがために、
労働者であることを忘れ、
企業(経営側)の意見がそのまま自分の脳に入り込んでいる種類の勤め人がいる。
いくら現代であっても、
労働者は所詮給与の対価として時間(労働力)を売っている者に過ぎず、「市場」を通して取引されるに過ぎない。
その前提は「建前」として、
「言わないことになっている」
が、
厳然とした事実である。
脳が経営側に取られた状態になってしまうと、
サービス残業もいとわなくなるし、
企業の目標達成が自分の人生の目標にもなってしまう。
社内の評価のために、結婚したり、家を買ったり、転勤したり、昇進したりするようになる。
おそるべきことに、土日も社内外の付き合いのためにゴルフをしたりもするらしい。
そう、
現代では奴隷制を作る必要もない。
労働者が率先して奴隷化するのだ。
「政治」も事情は同じで、
政治家が「未来の国家のために政府の借金を減らそう!」
政府の借金は国民の借金だ!
と言えば、デモも起こさずに増税を受け入れる。
国民主権という権利を持ちながら奴隷化している。
生きながら奴隷化しているのである。
自分はそうなっていないだろうか?
勤め人としての仕事の他に事業を持ち、
勤め人では体力・気力を温存する。
政治に関心は払うものの、
賢く節税策を探し、
金持ちの真似をして手残りを多くする制度を探す。
そんな生き方もある。
資本主義のジャングルでは、
一見平和に見えるが、
実は弱肉強食の前提は何も変わっちゃいない。
強制奴隷が自由意思に基づく奴隷に変わっただけだ。
まあ、奴隷の一生も悪くないかもしれませんが。