マインドセット・メンターなど

心構え

メンター、目標となる人物の設定が重要だ

大家業を始めるにあたって、重要なことは
「具体的に誰を目標にするのか?」
これが重要だ。

私が大家を志したのは27歳、貯金ゼロ、給料400万円以下、独身(婚約)という状態だった。

私が設定した最初のメンターは「芦沢晃」さんである。
芦沢さんは大卒後、大手電機メーカーのサラリーマンをして、
20代で八王子にファミリーマンションを購入。
バブル崩壊後に、住み替えをしようと思ったら、
マンションの価格が暴落していることに気づき、
不動産の勉強をスタートしたという。
(私の記憶違いがあったらすまん)

30代で、含み損を抱えて不動産投資をスタートしたとも言える。
一方で、現預金も持っていて、そこから現金での都心区分のキャッシュ買いで、
物件を拡大していた。

私は30歳を目前に、含み損もないが、キャッシュもない。
キャッシュをかき集めて、都心のマンションを買っていこうと決めた。

芦沢さんのような一流サラリーマンではないから、
ダブルワークで働き、年収の低さを補って、現金を貯め、
買い進めるという、ある意味「力技」で、
芦沢さんの真似をしようと決めたわけだ。

当時は不動産投資家が少なくて、真似できる人が少なかった(2006年~2008年)。

100%同じ人間などいないが、
自分に似た境遇で、自分が納得できる投資スタイルの人を真似する。
これが投資のスタートとしては適当であろう。

自分よりちょっと先を走っている人が良い。
10年大手企業に勤務したならば、レバレッジを使う方法で拡大した人が良いかもしれない。
低属性であれば、築古戸建激安投資が良いだろうし、DIY戦略もワークする。

地方在住ならばそのエリアの著名投資家のやり方、
地方の有良企業勤務であれば、エリート勤め人系の情報発信者と組み合わせて、
自分オリジナルに変化させるのも良い。

具体的に成功している人物のやり方をコピーしながら、
自分と違う部分は自分なりに修正してカスタマイズする感じだ。

芦沢さんとお別れした時、加藤ひろゆき先生に乗り換える、そして聖丁へ

芦沢さんは、都心・区分でひたすら進んでいる。今もである。

しかし、私は2013年頃に都心・区分のマーケットが高騰していたことから、
限界を感じていた。
10%の実質利回りが確保できる投資物件がなくなっていたのだ。

芦沢さんはそんな中でも優良投資先を発掘できているが、
私はできなかった。
恐らく手持ちの「業者ネットワーク」が私は圧倒的に弱かったのだと思う。

買った業者が全部バラバラで、
業者の間で、私がキャッシュで区分を買う、
しかも意思決定が早い投資家だと、
認知されていなかったのだと思う。
実際、数件しか買っていないので、認知されるはずもなかった。

そして私は投資対象を都心から、一都3県の東京寄りへと広げる戦略に出たのである。
そして実質利回り10%を超える物件、
連棟戸建や、再建築不可物件へと手を広げていった。

その過程で、私のメンターは芦沢さんから、
加藤ひろゆきさんへとシフトしていった。

加藤さんのように、地方で戸建を貸せるなら、
再建築不可だろうと築古だろうと、
こっちは腐っても首都圏だぞ。できないわけがない。
そんな感覚である。

私の生き方は加藤さんほどロックではないが、
投資スタイルだけは真似をするようになっていったのである。

このようにメンターは変化しても良い。
「ふんどし王子タイプ」
「岡田のぶゆきさんタイプ」
「波乗りニーノさんタイプ」
など、色々変化していいと思う。

そのうち、「俺流」が確立すると思う。

加藤さんにメンターを変更してから、
勤め人の給与が大幅にUPしていったが、
物件価格もドンドン上がっていき、
融資を引いていく投資スタイルに変更もできたのだろうが、
何を思ったのか、カードローンの融資枠1500万円を使ったり、
禁じ手とされる(?)三井住友トラストLFのフルローンを使いだした。

時効だからと言うか修正申告させられて納付済みだから言ってしまうが、
当時の私は確定申告を赤字申告しており、
マトモな金融機関では融資が引けなかったのだ。
ワハハ。

高年収の勤め人ながら、築古・再建築不可に投資し続けるという、
SATオリジナルスタイルが、ここへきて完成したのである。

その後、追徴課税を食らい、
これはタマラン!と、法人設立(2016年)、
もう1発追徴課税を貰って、(2020年)
晴れてまっとうな人生を歩みだした。

さて、「ここから融資を受けて、デカい物件でも買って勤め人卒業をするかな。」
と、思ったところで聖丁(2018年)という新たなメンターを発見したのである。

2018年以降は聖丁をメンターに

私は聖丁よりも5つか6つ年上だと思うが、
若くして勤め人卒業を果たした聖丁はまぶしかった。
(今もまぶしいが)

2018年からは勤め人をどう卒業しようかと考えるようになっていた。

しかし、聖丁がラーメン屋を始めたり、
当初仲間かと思った人と、たもとを別ったり、
社員を雇って苦戦している様子を見た。

考えた挙句、
これは勤め人を可能な限り引っ張った方が「俺は」いいな。

と、勤め人+アルファの継続に舵を切った。
私より若い同世代の聖丁は、
ある意味、自分の代わりに勤め人卒業後の世界を体験してくれて、
その世界がどんなものかを見せてくれたと思う。

結局聖丁の勤め人卒業後の生き方を見て、
「俺は勤め人を続けた方が良い」
とファイナルアンサーを出すことが出来た。

2007年~2013年 芦沢晃さん(都心区分)
2014年~2018年 加藤ひろゆきさん(戸建投資)
2018年~2024年 聖丁(勤め人卒業)

このように私はメンターを変更しながら、
自分なりのスタイルを構築してきたと言える。

もうメンターは、いない

私は勤め人を限界まで引っ張りながら、
戸建投資をやっていくし、
投資採算が合うようであればアパートもやるだろう。
妻が相続した先祖伝来の不動産の建替もいつかは必要だ。

経済的自由完成のステージまで来てしまうと、
メンターは不要だ。

ここからさらに起業でもして、
上場を目指すとなればメンターも必要だが、
経済的自由の獲得後は、最早、不要である。

そもそも経済的自由を獲得するために必要だったのであり、
それを達成してしまったら不要なのだ。

私はここから「俺流」でやっていくことになる。

私のような
比較的高学歴、試験失敗、しょぼい就職、
転職年収UP戦略、赤字申告、戸建築古投資というスタイルでは、
私がメンターになれる若者は本当に少数のはずだ。

その意味で私がインフルエンサーになることは不可能だ。
残念だが、
若き経済的自由ワナビーの皆さんは他を当たってほしい。

さて、ここからはメンターもシェルパもいない、
未知の荒野である。
ここからが実は始まりなのかもしれぬ。

3人のメンターのおかげでここまで来れたと言っても過言ではない。
脱サラしてラーメン屋なんか始めなくて良かった。
都心区分から始めてよかったし、
築古戸建は今後も投資しまくりたい。

感謝しかない。

感謝と共に、いざゆかん。

をはり