ビジネスとは成約(利益の確保)に向けた関係者調整だ

働き方

勤め人だろうと商売人だろうと変わらない資本主義経済のルール

特に大卒文系の仕事に言えることだが、
営業マン、債権回収マンだろうと変わらない事実がある。

それは関係者調整である。
最終的に自社(者)の利益を確保するために、
関係する人間同士の感情を調整することが、仕事(ビジネス)である。

不動産仲介(賃貸)を例にすれば、
① 貸したい大家
② 借りたい入居者
③ 仲介手数料が欲しい不動産屋

3者が納得して、債権債務関係に入ることである。
貸したい大家は家賃を回収する債権を得て、貸す債務を負う。
借りたい入居者は借りる権利(債権)を得て、家賃を支払う義務(債務)を負う。
両者をマッチングさせた仲介業社(不動産屋)は仲介手数料を得る。最近は大家からも広告費というカネを取る。

さらに分解していくと、
不動産屋の勤め人も、労働するという債務を負っているし、
不動産屋の社長は労働の対価として約束した給与を払うという債務を負っている。

債権債務をちゃんと全当事者を納得させたうえで、成立させることが、
ビジネスマンの仕事である。
これは社長だろうとオーナーだろうと、勤め人だろうと変わらない。

「調整力」ってやつだ。
その意味では政治家も同じだろう。
結婚という行為も利害調整の結果である。

「無償の愛」ってやつも疑わしいこと、この上ない。
命を投げ出して、子供を助ける親の自己犠牲だって、
自分の遺伝子を未来へ残すと言う対価が発生している。

線路に落ちた老人を助ける若者だって、
ヒーローとして賞賛を得るという対価が発生している。
かなりニヒリストのような意見ではある。
心理学っぽい話になってくるので、話をもとに戻す。

要するに債権債務を有効に発生させるために関係者の利害を調整できる人。
これが資本主義における勝者となる。

各関係者の意思決定が自由意志に基づく

共産主義の世界で生きたことがないので不正確かもしれないが、
共産主義では生産量も配給量も政府が決定する。

パンを毎日1個食べれば十分な人、
パンは1日10個食べたい人。

しかし、国家は一人3個と決めている。
それ以上はダメだ。
生産量も一人3個×人口分+備蓄分など、
一定に決められる。

自由意志ではなく強制力で生産、消費が決められる。
1個で足りる人が、10個欲しい人に売ったらどうなるのか?
それをやったら富の偏在が発生して、
制度が崩壊していくのだと思う。

さてさて、

資本主義では各自が自由意志に基づいて判断し、
債権債務を発生させる。
この点が資本主義のイカしてるところだ。
人の心は本来自由である。
その人間の本来の性質を肯定するところに、
資本主義の強さがある。

人間という生物の本質を敷衍(ふえん)させて、
システムに昇華させたというのが強みだ。

そんな自由意志に基づき債権債務を発生させる社会であり、
多くの債権債務を発生させ、その総量を極大化させることが、
経済発展である。

腹いっぱいメシを喰う。
1日2食では足りない。
3食食うことが奨励される。
3食では足りないので、オヤツ、ジュース、ビタミンを取ることも奨励される。
食べ過ぎて病気になったら医療サービスだ。
医療もどんどん診察して薬を出す。
薬を作れば作るほど生産量が増大する。

1人の命は地球より重い。
と言って、全員で負担しよう!
となって医療保険制度まで作って強制的に販売する。

死ぬなんてダメだ。
いつまでも生かして医療費を取る。
医者も増える。
医療費を払うために家族は必至で労働力を売る。
限界をいかに超えていくかの経済だ。
借金も無論、奨励される。

そして、食べること、医者にかかること、薬を飲むこと、
植物状態の親を生かすこと、
全てが、各経済主体(個人)の自由意志に基づくのである。
需要とは自由意志を前提に形成される。

自由意志をうまく自分の利益に結び付けることが、
経済的に成功するためのカギだ。

私の資本主義との戦い方

私は勤め人として、「債権回収」をしてきた。
個人としては「大家業」という商売をやってきた。

勤め人としては給与を受け取る権利の価値を高めてきたし、
大家としては家賃を受け取る権利を高めてきた。
もちろん私の自由意志の結果である。

さらに、
個人としては、持ち家を買わない、車を持たない、
時計も持たない。
という選択をしてきた。
これは誰かに債権を取らせない(自分を債務者にしない)、
という戦法である。
債権は取るが、債務は取らない。

テレビはスポンサーを「債権者」とするために、視聴者を「債務者」とするために、
利害調整をしかけてくる。
無料のコンテンツを提供して、釣ってくるのだ。
テレビはスポンサーから広告費(債権)を取る。
オモシロコンテンツを作るために、芸能人の面白さを買う。
(芸能人を使用する権利を得る)

証券会社や不動産屋も利害調整をしかけてくる。
自社の利益(売却益、手数料)という債権を得て、
私達を債務に仕立てようとして「しかけてくる」のである。

いかに仕掛ける側に回り、仕掛けられる側に立つことを回避するか?
いかに債権を取り、債務を負わないかの勝負だ。
資本主義は他者の利害を調整して自分の利益を取るゲーム。
他者からの利害調整をかわすゲームであると言えよう。

私は給料と家賃という債権を取り、最大化する。
消費を抑え、家は勤め先に家賃を支払わせる。
自動車は中古で買い、支払い義務を減らすのである。

誰もが喜んで債務者になる商品を持つ

誰もが欲しがる、商品を提供する。
これが最強である。

市販の化粧品が広告費がたっぷり乗った製品を出す一方で、
原価をガッチリ乗せて、広告費を抑えた製品を出したら、「売れる」
利害調整をする必要もないほど、売れる。

一方で、誰も必要としていない。
誰からでも買える商品を提供すると苦しい。
どの証券会社から買っても、上場株式は同じ価格だ。
どの銀行から借りてもカネはカネだ。
多少の金利しか違わない。

こんな商品を扱う商売は苦しい。
そしてそんな商品を売る企業で働く勤め人も同じく苦しい。
なぜならば、利害調整に難航するからだ、
商品力が弱いから、勤め人の人間性、好感度、マメさ、傾聴力などが必要になる。
結果、ストレスが多くなって、労働力回復のコストも多額となる。
そんな労働力回復の対価である給与を受け取る勤め人は苦しいのだ。
やめておこう。

勤め人として社内、社外の利益を調整する能力が高いほど、出世する。
相手の自由意志を自社に誘導して債権債務を発生させる能力が高いということ。

この能力は磨いて損はない。
勤め先のためではなく、
自分のために使うことが出来れば、圧倒的に強い。

利害調整能力を磨こう。
そして債権を持ち、債務を拒否しよう。

これを正確に、数多く行うことが出来れば、
資本主義経済で勝利することが出来る。

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