カネ、それ自体に価値はないと理解する

資本主義の分析

買いかぶってもらっては困る、私には価値はない

金融に20年以上携わっていると、
勘違いしている人が多いのだが、
金(カネ)これ自体には実は全く価値がない。

ゼロだ。
ゼロ。

金(ゴールド)と交換できた時代もあったが、
よくよく考えて見れば、ゴールドも大した価値はない。
加工しやすかったり、希少性があるから価値があるように思われるが、
実際には文鎮か位牌にできたら御の字で、
利用価値がないのである。

では、本当に価値があるのは何か?
ということである。

それは食料である。
米、肉、魚、果物。
これは本当に価値がある。
人間が生きる上で必要だからである。
さらに衣類。これにも大きな価値がある。
寒冷地は特に衣類がなければ死活問題だ。

さらに家。
これも価値が高い。
原野で生活することを想像してみたら良い。
価値が高いだろう?

上記なくして、
金(カネ)だけを所有していても火を起こす焚き付けにしかならん。

しからば、金(カネ)には意味がないのか?
と言えば、そうでもない。

金(カネ)に価値があるのは、
前述の品物と「交換できる」という点において、である。

交換価値、これがカネの本質である。

失うものがない人にとって借金は怖くない

では借金。
金(カネ)の価値が「交換の価値」にあるとすれば、

借金とは金(カネ)を借りるということであり、
交換価値を借りたのである。
借金の返済は金(カネ)払うのであるが、
その場で支払を完了してしまう行為が売買であると言える。

後払いにしたら、立派な借金だ。

借金が怖いのは、
取り立てられるからであるが、
逆に借金を取り立てる側にとって何が怖いかと言えば、
「取り立てるものがない」
これが怖い。

取り立てる行為も、
借金が「金(カネ)」すなわち、交換価値に依存していることから、
債務者に交換価値があるものがなければならない。

女であれば、水商売や風俗をさせて回収することも可能だが、
それは若くて一定の美しさという価値があるから可能になり、
その債務者たる女が、借金の返済のために協力する意思がなければならない。

金(カネ)が交換価値しかないのだから
借金もその本質は同じだ。
価値がない相手からは何も回収することはできない。
つまり、価値を持たない者にとって借金は怖くもなんともない。

特に現代は破産法が整備されているし、
腹いせに殺してしまえば、犯罪者になる。
強制労働もさせられない。
ゼロになることを覚悟すれば借金は怖くない。
一発当てて、返済してしまえば勝ちだ。
全て失ったとしても、破産でゼロになるだけの話である。

政府の主張「将来世代にツケを残すな!」

では政府が主張する。
政府の負債=将来の国民の負担=子供たちの負担

これは正しいだろうか?
金(カネ)それ自体に価値はない。
借金が(カネ)の裏返しである以上、価値がない。
と言うことができる。

では、借金などいくらあっても関係ないと言える。
踏み倒したらオシマイなのである。
政府が踏み倒すと言っても、
借りている相手は日本銀行である。
政府の子会社が政府の借金を踏み倒したところで、
誰も困らんのである。

「日銀が持っている国債だけ消滅させます」
と、言ったらそれで終わりだ。
だって、金(カネ)には何の価値もないのだから。

米は毎年生産されるし、魚も絶滅したりはしないのである。

国家にとって重要なのは、金(カネ)ではないのである。
重要なのは「生産力」これに尽きる。
生産力とは、「家を建てる能力」「鉄道を運用する力」
「橋を作る能力」「攻撃してきた相手を撃退する力」
色々あるが、そういうことである。

この能力には本当に価値がある。
むしろそれこそが価値だ。
米や野菜を生産する能力も重要、衣類もそう、医療もそうだ。
これが十分に確保されており、
国民がその生産力を享受できることが国力というものである。

この生産力という価値を「媒介しているだけ」これが金(カネ)である。
不動産仲介に似ている。
売り手と買い手がいるが、仲介している不動産屋が存在しなくても、
究極的には困らない。
流通の役割なのだ。
(モチロン重要なのだが)

政府が言う、将来世代にツケを残すな(借金を減らせ)
とは、大間違いである。
そもそも政府の負債とはすなわち=紙幣である。
紙幣は借用書なのだ。
借用書に過ぎない。
借用書は時代と共に価値減ることもある。
昭和初期の1円札はゴミだ。

そんなものよりも、
橋を作る能力、ガスを全国に張り巡らす建設力、水道インフラ、
自動車生産、全員が享受可能な医療サービス、治安を守る警察力など、
こちらの方が重要だ。

そもそもインフレにならない限り、無限に紙幣をゼロから作れる政府が、
借金の心配などする必要がない。

ただの交換価値のために、本質的な価値(生産力、治安、医療)を削減するというのは、
アホらしい。
ズボンを買うために両足を切って売るようなものである。

私達は何を買うべきなのか?

金(カネ)に価値がないとなれば、
私たちが買うべきは価値があるものである。

価値があるものは、「不動産」これである。
利便性が高い場所にある不動産は、
人間が存在する限り、必ず誰かが、カネを持ってきてくれる。

さらに、五大商社が倒産して、その株式が紙くずになっても
(今や電子データである)
私の貸家には人が住む。
建物は確かに経年劣化していくが、
土地は劣化しない。

2000年後も2000年前と同じように存在していくだろう。
2000年後は今100万円の土地は1000億円になっているかもしれない。
金(カネ)は政府が供給する価値の媒介物に過ぎないから、
その価格は変動する。
しかしだ。
土地の利用価値は変わらない。
(どこでもドアが開発されてしまったら、東京の地価は大いに下がるだろうが。)

不動産を買え!というのが正しいのだが、
よりメタな概念で言うと、
価値がある資産を買うということだ。

バフェットが言う、
明日株式市場が閉鎖されても私は全く困らない。
というヤツだ。
「交換できなくなっても困らないものを買う」
これだ。

ただし、食料はダメだ。
保存ができないからである(笑)

株式で価値を保存するのもいい作戦だが、
いつ、何時(なんどき)、売買ができなくなっても構わない。
そんな銘柄を保有するのがいいだろう。

私は不動産でいく。
たまたま、妻の実家が千葉で資産があるので、千葉で始まったが、
いい場所であれば、北海道でも沖縄でもどこでも構わんと思う。

不動産で行こうぜ!

をはり