「昔の私」は「今の私」になりたかったのだ

働き方

2005年4月私は貧しかった

25歳、給料300万円、社宅住まいの第二新卒のサラ金子会社社員。
これが私の肩書だった。
45歳、世帯年収4,000万円(仮)、社宅住まいの勤め人大家。

大学生までは年収3,000万円の弁護士を目指していたが、
弁護士の「平均」年収は2,000万円だそうだ。(日弁連発行「弁護士白書 2023年版」)

私は弁護士になりたかったわけではなく、
金持ちになりたかった。

私は目標を達成したのである。
勤め人だけでは足りないと気が付いたのが28歳。
それから17年経ったが、私は目標を達成したのである。

そう、私は今のような状況を目指していたのである。
28歳当時の取引先が今の勤務先であるが、
当時「いいなー。俺もこんな企業で働きたい」
と同い年の同大学出身の女性を羨望のまなざしで見ていた。

彼女は今弁護士になっている。

若い頃は結婚や子供には興味がなかったが、
妻は子供3人欲しいと昔から言っていたので、
結果的に息子3人が育っている。

結婚をしていなかったら、おそらく30代後半になって、
やっぱり子孫繁栄も必要だな。
と、思い至ったであろう。
私がそう思う前に妻が先回りしてくれたので、
この目的は『志す前に叶ってしまった目的だ。』

今の私の目標は『豊かさの維持と発展』

今、目標を見失ってしまったかと言うと、そうでもない。
構築した富と家族の維持・成長が目的になった。

守成は創業より難し。

よく言ったものだ。
初代となるよりも二代目、三代目と継承していく方が格段に難しいのである。
当然だ。
ポッと出の成り上がりというのは一定確率で生じる。

しかし、その確率は極めて低い。
1万人に一人は、私程度の豊かさを実現する者は、いる。

だが、私から1万分の1の確率で、
私のような資産形成、資産維持の性能を持った子供が産まれると言う可能性は
ほぼ「ありえない」可能性だ。

さらに不動産への親和性、倹約的な志向、
私の遺伝子のコピーでも作らない限り、
難しい。

さらに私だって、田舎の貧農兼業農家に産まれたから、
こんな性質を持ったと言う後天的な要素も影響している。

2代、ましてや3代続くなど、
それこそ針の穴を通すような難事である。

まあ、そんなわけで、
せめて相続争いが起きなければ御の字。
承継者が資産を維持できただけでもアッパレ。
さらに次世代にバトンが渡っただけで天下の慶事だ。

資本主義、資本の重要性、不動産の強さ、質素倹約、蓄財など
基本的なポイントを押さえてもらい、
女選び、子弟教育等、じっくり教育しなければならん。

事業承継する息子は早い段階で勤め人を強制卒業させる必要がある

問題は教育の「前提」と「時間」である。

前提として私の話を聞いてくれるような息子を選抜しなければならない。
長男は反抗期だが、20代後半になれば落ち着くだろう。
座して待つべし。
次男三男も同じだ。この待ち時間だけであと10数年。
私が60歳になってから、それ以降に教育が始まる。

さらに前提として、資本主義ゲームにおける勤め人のバカバカしさ。
これを体感してもらわないとダメだ。
一度はせめて半年、労働者として働いた経験をしてもらう必要がある。
さもないと、資本の重要性が分からない。

これも必要だ。
さらに20代ともなれば女の扱いも一通りやっておいてもらわないと、
遅くとも30代前半までに次々世代の継承者を育成すべく嫁貰いの儀を
完了できない。

長男、次男がダメであるとすると、三男になるが、
三男が30歳になるころには、私も65歳だ。
残された時間が少ない。

これがフルタイムの勤め人など10年もやられてしまったら、
教育する時間もないし、疲弊して帰宅した息子に教育を入れる余地もないだろう。

その意味で、なるべく早く承継者には勤め人を卒業してもらわないとイカン。
当然、60歳になった私の基盤をそっくり引き継ぐから、
私が資産形成に費やした時間ほど、長い期間は必要ない。

一番マズいのが勤め人にやりがいを見つけてしまい、
楽しくて続けちゃうとか、そういうパターンだ。
残念だが、そうなってしまったら、打つ手なし。
廃嫡である。

3人全員、クソオヤジの事業なんか承継しねーよ!!!
とまあ、そうなる可能性もあるのだ。

昔の私は今の私になりたかったのだろうが、
未来の私は、今の私がなりたい60歳になれているのだろうか。

多分なっている。

つづく