豊臣 秀吉

関白豊臣家
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豊臣 秀吉(とよとみ ひでよし) 
生誕  1537年3月17日 ~ 死没 1598年9月18日 ※享年60歳



志は「立身出世」※関白就任まで
乱世に生まれたからには腕一本で立身出世
それこそ男子の本懐なり

実測検地
民が農地を隠すこと、お見通しなり
検地のこと、よくいたすべし

城取名人
戦の肝は城取りにあり
あらゆる手段にて目の前の城を落とすべし

戦国時代初期の検地が、家臣らの自己申告による指出検地だったのに対して、秀吉ら、大きな力を持つ大名は実測による検地を進めたと言われています。農村の営みをよく知る秀吉だからこそ、検地にはこだわったのかもしれません。

基本(検地帳):農民の納める兵糧が増える
条件(家数人馬改帳):拠点の人口が増える
条件(近代兵装):足軽の戦闘力が上がり、俸給が安くなる
悪(一触即発):一揆が発生しやすくなる

城がより巨大で落としにくくなっていくなか、秀吉は大規模な水攻め、徹底した兵糧攻めといった独自の方法で城を落としていきます。自国の兵は失わず、他国を弱らせることに長けた秀吉の軍略が、彼を天下人へと押し上げます。

基本(破城包囲):攻城戦で包囲の威力が上がる
条件(干殺し):攻城戦で包囲を続けると敵勢力の兵糧が減る
条件(心の駆け引き):攻城戦で包囲を続けると敵勢力の戦意が下がる
悪(血が苦手):決戦で部隊の攻撃力が下がる

関白就任後の志は「天下総無事」
関白の名において命ず
これより一切の戦は許さぬ

太閤検地
天下の土地は全て天下人のもの
升で測り、皆等しく検地をいたすべし

武家関白制
武家の棟梁が関白となり
日ノ本や帝を支えるべし

太閤検地では秀吉が派遣した検地官によって、全国どこでも同じ水準で検地が行われました。これは検地の効果を高めるだけでなく、秀吉の庇護のもとに土地の支配は保証されるという力を示す狙いもあったと言われています。

基本(京升):農民の納める兵糧が大きく増える
条件(家数人馬改帳):拠点の人口が増えやすくなる
条件(身分統制令):足軽の戦闘力が上がり、一揆が発生しにくくなる
悪(人掃令):農兵の納める兵糧が減る

長らく公家だけが任じられてきた関白に、武家の棟梁として初めて秀吉が就任しました。これにより秀吉は朝廷を補佐して天下を治める正当性を獲得し、大名ら自ら官位を与えるほどの権勢を振るいました。

基本(任官):朝廷からの使者が来訪しやすくなる
条件(日輪の子):他勢力が従属に応じやすくなる
条件(四面楚歌):攻城戦で包囲を続けると敵勢力の兵糧が減り、戦意が下がる

統率 95
武勇 80
知略 97
内政 95
外政 92

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