家やモノを破壊するタイプの男

相続・教育・次世代

私の家系ではない形質が発現している

うちの長男は壁を殴ったり、ゲームをしているのか知らんが、
床をドンドンやったり、スマホを怒りに任せて破壊したりする。

オヤジの家系にも、母親の家系にもそんなヤツはいなかった。
比較的モノに当たらることがないDNAなのだろう。
私も怒りで何かを殴ることはあるが、一応殴っていいものか?
手は負傷しないかを確認している。

しかし、八つ当たり系の遺伝子は結構多いようで、
不動産屋に壁に穴をあけたと相談したら、
「よくありますねー、どうせまた穴開けるから直さなくていいんじゃないですか?」
と、言われてしまった。

まあ、そうは言っても、見栄えも悪いし、縁起も悪い。
直したよ。俺は。

私の家系のDNAではないとすると、
嫁の家系のDNAかと断定することもできない。
DNAの組み合わせでこのような形質が発現している可能性は高い。

長男は顔が非常に良いのだが、残念ながらそのような形質が発現しているので、
これと一生付き合っていかねばならないかと思うと可哀想である。
まあ、人には攻撃性を出さないので、その点は優位である。
これで、人に対しても攻撃的になると、オラオラ系やら、
タトゥー入れずにはいられない系のDV上等系の男になってしまう。

家系を見るに、私側、妻側にも反社的人物が産まれていないようだから、
まあ大丈夫だろう。
父方には数名知恵が足りない男が産まれてはいるが、10%程度の確率であろうか。
まあ誤差だろう。
頭がおかしいと思われていた親戚も、高校の普通科は卒業できていて、
障碍者レベル1?くらいの軽度の心神耗弱者である。
発達障碍者は5~7%の割合らしいので、まあ10%という体感値と一致する。

ただ長男は知能は私よりも先天的に優れていると思われる。
実際お私立受験では早慶中学に合格するのと同レベルの難関中学に合格している。
しかし、努力をする能力は先天的に私よりも低い。
学校もサボる。
天才のような人間はなかなか産まれない。当たり前だが。

このようなモノに八つ当たりをする人間というのは社会人でもいる。
会社でもゴミ箱やらキャビネットを蹴っ飛ばす人というのは
特に15年くらい前までさかのぼるとよくいた。
これらの人が居なくなったのは、いわゆるパワハラの厳格化。
スマホの録音、動画撮影機能の発達、SNSによる社会的制裁という
抑止機能が充実したからであって、
これらの暴力的な人間が消えたわけではない。

まあ、女にも男にもこういうのは一定数いる。
このような形質も、ある程度優位性があるから残存しているのであろうし、
確かにキレ散らかしてモノを破壊する → 周囲が配慮してくれる。
というのは、明らかに生存に優位かもしれない。

更にだ。
長男のルックスが良いことと、キレてモノを壊すと言う形質。
この両者が同時に発現しているというのは非常に面白い。
ブサイクが切れ散らかしても、うるせぇこのブサイク野郎!
と言って、蹴られるだけだし、
ブスが暴れても、暴れブスとして駆除されるのみだ。

しかし、イケメン・美女で暴力的がセットになると、
これに惹かれる異性が世話を焼いてくれるケースが、まま、あるのだ。

非常に残念なお知らせだが、
私は不細工なので、暴力性の発現はない。
イラついて言い返すことはあるが、モノに当たる意味がない。
当たっても周りからそっと人がいなくなるだけだ。

客観的に長男を見るに、先天的にイケメン、知能が高いが、切れやすすモノに当たり、
継続的な努力をすることができない。
このような人物であろうと推測される。

一方次男は容姿普通、知能普通、性格温厚なるも怒りを貯めこむタイプ。
継続的な努力は不明。
どちらかというと人間的には私に似ている。

三男は長男と容姿が生き写しだが、社交的だ。
切れやすいが声に出して怒鳴るタイプだ。モノには比較的優しい。

まあ、いずれも五体満足で、このまま育てても、
整形などせずに女にもモテるだろう。
特に子孫繁栄には影響はなさそうだ。

多少の長所、短所はあるものの、いずれも社会性の破綻とは程遠い。
要するに普通の範疇に納まる範囲である。
実は、特質があるのかもしれないが、凡夫たる私には見えない。

生存に優位性がある(あった)からこの性格がある

壁に穴をあけるタイプの私の長男の性格から、
話を展開している。

世の中にありとあらゆる形質がある。
それはほとんど、先天的なものだ。
教育や、環境によって多少の変化はあるだろうが、
残念なことにほとんどが先天的に決まっていると思う。

男に媚びる女、
とっかえひっかえ女を変える男。

まあ、生まれつきである。
日本人の平均値からズレているというだけで、病気ではない。
また、このような性格も、生殖、生存に有利だから、
現代までこの形質が繋がってきたのだと言える。

今、現世で生きている人間は全て、理由があって産まれている。
宗教的な意味ではなく。だ。

極端な障害も、何かの形質を発現させようとした結果の失敗なのだろうと思う。
大量の人間が産まれる以上は止むを得ないことだ。
極端な障害が発現した場合には、生殖できないという結果で、
DNAが消え去る。DNAが消え去れば増えることもない。
実に合理的である。

自分を含めて家族がそのDNAの生存競争から逃げられるとは思わないことである。
仮に自分の家族に障碍者が産まれたとしても。それは一定の確率で発生することであり、
無駄に嘆く必要はない。
国家の世話を受けながら、本人の望む人生を生きさせればよい。
他者を傷つけない限り、人は自由なのだ。

その意味で、イケメン、高知能、低努力特性、物に当たる
のスキルを持って産まれたら、その特性を生かし、短所をカバーして何とか生きるしかない。

ブスでもブサイクでも、それは同じだ。
顔だけで人間の評価は決まらない。

資本主義の配点が高い現代

戦国時代であれば、武芸の配点が重視されたであろう。
石器時代なら猶更だ。
弓、槍、鈍器と言った武器の扱いの配点が高かった。

しかし、戦国時代でも天下を制したのは
信長、秀吉、家康と言った、経済力、外交力、軍事力など総合的な能力が高い武将だ。

特に暴力装置が国家によって独占された現代では、
武力の評価が下がったともいえる。
芸能人のような見せ物、ショービジネスのような形で、
極めて特異なほどに高い能力があるスター選手だけが、
総取りするような形になった。

一方で万人が必要となる能力が、
資本家となり、それを維持する能力。
これである。

芸人であれば島田紳助氏のような資本家力があれば、
芸能で稼いだカネを不動産に転換して、
50代でさっさと引退することも可能だ。
引退してもその経済基盤は盤石である。

勤め人階級から出発したとしても、
資本家力さえあれば、卒業可能である。
卒業というか、階級移動だな、もはや。
クラスチェンジと言ってもいい。
FinalFantasyで言うと戦士からナイトにクラスチェンジするようなものだ。

労働者から資本家への階級移動はまさにステップアップだ。
課長から部長に昇進しても単なる勤め人から勤め人への内部移動である。

単なる内部移動ではない、クラスチェンジが
ある意味資本主義における最大の目標なのだが、
優秀な()勤め人は内部移動に汲々(きゅうきゅう)として、
クラスチェンジの存在自体に気づかない。

そして、クラスチェンジを行う上で必要なのが、
勤め人階級と資本家階級が存在することに気が付ける程度の知性。
加えて、クラスチェンジを果たす!という強い意志が必要である。

顔が多少いい構造をしているとか、
学校をサボるとか、
そんなものは案外どうでもいい問題だ。

資本家へのクラスチェンジが出来るのであれば、
カネによってほとんどの問題はクリア可能なのだ。
カネによってクリアできないのは家族を持つとか、
愛情豊かな配偶者を得る。そんなことだ。

99%解決できると言っていい。
戦国時代でもカネによって武装集団を雇って自営するということもできたのだが、
究極的には変更された権力者によって潰されることがある。
現代は法治主義、租税法律主義があるから、
そうそう自分が急転して不利に追い込まれることもない。
資本家の地位が固定化しやすいのも有利だ。

実際政治家などは非課税になる政治団体を作って、
2代3代と承継していくスキームを作っている。
立法府(国会)を抑えて自分達(資本家)に都合がいい法律を作る。
財政基盤を作り、子孫の1人には政治家を送り込む。
麻生財閥のような体制が構築出来たらいいと思っている。

をはり