カネは無限に作ることができるが、有限なものがある。

資本主義の分析

私は資本主義が好きだ。

私は資本主義の申し子である。
東北の兼業農家に産まれて、勉強でのし上って、社会的地位を高めた。
さらに中古不動産を買い進めて勤め人+アルファで悠々自適に生きている。

下剋上を成し遂げたと思っている。
この前提には資本主義というメカニズムが必要だったと思う。
労働者として良い地位を得て、
資本を蓄積して資本から収益を稼ぐ。
収益を資本に再投資する。
これで私は一定の成功を収めることができた。

しかし、である。
私よりも有益な生産活動をしているにも関わらず、
貧しい人はたくさんいる。

老人介護サービスの職員さん。
食品デリバリーの配達員さん。
全てそうだ。

私が勤め人としてやっていることは、
金融機関のアセットを安く買って、
債務者から買取価格以上に回収するという行為である。

よく考えてみると、債権回収という仕事には全く生産性がない。
米1粒も生産していないし、誰かを豊かにするわけでもない。
資産が右から左に移転しているだけだ。
100で右から動いて、左に110で移転する。
私は間に立って10を引っこ抜いているだけなのだ。

全く生産活動をしていない。
大家業の方がむしろ住宅と言うサービスを提供して対価を得ているので、
よほど社会のためにはなっていると思う。
ただし、一般人が高く買った自宅を買い叩いく行為は全くもって非生産的だ。
売った一般人が売らずに自分で貸しても同じサービスが提供できる。
本当は価値があるものを安く買い取ると言うのはそれ自体生産的ではない。

まあ、総合的に私はカネ持ちにはなったが生産活動は全くしていないと自覚している。

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まさにこの数式が表す通りである。
私は資本主義によって金持ちになったのである。

しかしながら、私は理解している。
カネよりも生産活動の方が尊い。
圧倒的に重要である。

カネは政府が発行すれば無限に増える。
ノーコストで政府は発行し、市場から商品もサービスも購入できるのである。

しかし、
商品もサービスも有限である。
これも事実だ。

資本主義が拡大し、圧倒的な生産力を持ってしまったので誰もが忘れてしまっている。
カネがいくらあっても有限なサービス、商品が枯渇してしまったら、
カネなど何の価値もなくなってしまうのである。

なぜこんな事態になってしまったかと言うと、
「生産力が増えすぎたから」
と、いうことになる。

地球上で生産される農作物は、全人類、70億を食わせるのに十分な量がある。
需要を上回る農作物という「商品」がある。
結果、本来有限なる商品が無限に発行でき、食えもしないカネよりも価値が低くなってしまうという事態になっているのだ。
そのため、カネがない貧困国には食料が回らない。
家畜に食わせて、家畜を肉にして売ってより多くのカネを得る方向に流れるのである。

まあ、今はたまたまロシアが戦争をしているので、
天然ガスや石油という、明らかに有限なる資源(商品)の価値がカネに対して上がっている。分かりやすい。

ありあまる生産力を落としまくる政策

日本は戦後、生産力を高めに高めて、世界を席巻した。
自動車、バイク、半導体など、生産性を高めに高めた。
そして政府も銀行もカネを供給して世界を席巻したのである。

面白くない海外勢は日本の株式の持ち合いを批判したり、
銀行に総量規制をかけさせた。
日本経済はバブルだとして、ハードランディングさせて、金融から経済を叩き壊したのである。
最大の悪事は「緊縮財政」であり、
政府がカネを市場に供給するのをストップさせた。
大蔵省を解体して、財務省に再編し、経済を財政で締め上げたのである。

需要を落とすべく、消費の担い手である労働者を派遣社員に切り替えて貧しくさせた。
労働コストを減らして株主配当をさせる。
配当が出やすくなるように法人税を下げる。
配当への課税も減らす。

株式の持ち合いをやめさせて、外国人様が株を持てるようにしたのである。

結果、需要は減退、需要がなければ生産力も落ちる。
日本はこうして30年以上も続き、これからも続くであろう国家としての自殺の道を進んでいるのである。

資本主義を採用するならば、生産性を青天井に高めていかなければならない。
電力が逼迫するのは需要に対応した生産力しかないからである。
普段から需要の2倍生産できれば、危機が起きても余裕で対応できる。
余った生産力を引き受けるのは誰か?
国家である。
政府はタダでカネを印刷できるのだから、危機に備えて需要を上回る部分を買い取っておけばよい。
米も小麦もどんどん作って政府が買い取って10年先まで備蓄しておけばいい。
古くなったら畑にまいて肥料にしたらよい。

もったいない?
カネは無限に作れるが、生産力は有限なのだ。
生産力を危機に備えて普段の何倍も持っていることが国力である。
防衛もなんでも同じことである。
インフレにならない範囲で需要を政府が引き受けるのが正しい。

それをしないから、
日本の道路は相変わらず片側1車線の高速道路(笑)だし、
ちょっと夏が熱くなって冬に寒くなると電力需要が逼迫するのだ。
これを何と言うか?
「発展途上国」と言うのである。

先進国が自ら自らの首を絞めて、先進国の地位から発展途上国に転落しているのが日本である。
中国など、バブルだ!崩壊する!と言って、全く崩壊しない。
崩壊させようと思わなければバブルは崩壊しないのである。
そして崩壊しなければそれはバブルとは言えない。
適切な生産力を高める方向に誘導することが国家の役割だ。
食料が足りないならば、食料生産した生産者から高値で食料を買い取ることで、生産力を高める。
交通インフラが貧弱であれば、建設会社にドンドン仕事を政府が発注して、工事させる。
老朽化したインフラを整備する。
それを行えるのはカネをタダで作れる政府だけなのである。

対外債務を発行せず、国内で国債(=通貨)を発行できる政府が支出をしなければ、
絶対に経済は回復しないのである。
そもそも民間で需要を生み出して生産力を高めようとしても、
消費という需要に対する罰金がある。
消費税だ。

ありもしない財政危機をでっちあげて、政府がカネの流れを止めている。
これは意図的に行われている。
日本という国家の経済力を落とす。
という明確なる意思に基づいて行われている。

だって、私程度が集められる情報と知識でさえわかることだから、
より賢く、情報が集まる上級国民の皆さんが知らないはずがないのである。
官僚しかり、大手企業のトップ層しかり、政治家しかり。

多分私もそれらの仲間になった時に、
抵抗できないだろう。
だから、この国家窮乏化政策に対しては、
これに合わせて稼ぐしかない。

自分の影響の輪を超えて、関心の輪を極端に広げないということだ。

つづく