私の育ての親でもあった曾祖母が死にました。
2019年5月16日未明、老衰で死去したとの知らせが実家からありました。
90歳を過ぎたあたりから既にボケ始め、私のことを私と認識することも出来なくなってきていました。
あまり実家に帰ることもせず、顔を見せることにしなかったので、悪かったなと思います。
死に目にも会えませんでしたし、休暇を取って帰ることもしません。
育ててもらったくせに薄情な私ではありますが、
親兄弟、嫁子供、私が骨を拾ってやる責任がある相手以外に関しては葬儀等は参加しません。
かと言って唯物論者と言うわけでもなく、輪廻転生と魂の不滅は信じています。
ただ、現世での肉体が滅びただけなので、それほど悲しむこともありませんし、来世もあるでしょうから、嘆くこともないと思います。
むしろ、死んだ後になってまで、生き残った人たちが使うべきカネを使って葬儀をやったり、坊さんにカネをはらったり、墓場という生きる人たちの希少な土地を占領することには全く意義を感じません。
当然、私が死んだら葬儀無用、戒名不要、墓不要。
すぐに火葬場で償却して灰にして太平洋に散骨するなりしてくれればOKです。
死ぬ前にやっておかなければいけないこと
曾祖母の死をきっかけに私も少し死ぬまでにやっておくべきことを整理する必要があると考えました。
①まず3人の息子を1人前の大人になるまで育てきる。
何はともあれ、これです。
死んだ曾祖母には悪いですが、終わった人よりこれからの人のことを気にしなければいけません。
自分の健康を彼らが成熟する年齢まで維持すること。
突発的な事故で死んでも彼らが生き残れることまで責任を持たねばなりません。
事故だからしょうがないよね♪
という話ではありません。
結果責任です。
努力をしようが結果ダメならダメ!
まあ、親はなくとも子は育つと言いますから、そんなに力を入れることもないかもしれませんが。
② 死んだあとの財産処理
死ぬまでに必要な資産を残して後は譲るなり売却するなり寄付して、死んだ後に面倒がないようにしておくことも娑婆を後にする者の責任です。
立つ鳥後を濁さず。
死ぬときも「あいつの死に様は見事であった也」と言われるような死に方をしたいと思います。
まさに特攻兵のような散華。
武士のような死に華。
かくありたいものです。
自害は痛いでしょうし、特攻も怖いですね。
寝ている間に筋弛緩剤のような安楽死が希望ではありますが、
法改正が待たれます。
③ 人生を思いっきり楽しむ
3つ目にして最重要課題です。
人生を悔いなく楽しみつくす。
これが死ぬまでにやっておくべきことでしょう。
私はある程度金持ちにもなったし、
子供もできたし、
社会的に成功もしたので人生半分成功したと思っています。
あとは勤め人卒業してさらに資産を拡大できれば満足です。
海外に興味はありませんし、
カネが拡張していくのを見るのが楽しいので、
それだけでいいです。
後は好き勝手をTwitterでつぶやいて生きていればもう十分です。
あと一息頑張ります。
まずは勤め人卒業ゲームをパーフェクトな形でクリアする。
そこからです。
おっと、まだまだ人生楽しみつくせておりません!
Good bye 曾ばあちゃん
をはり