後厄年であることを忘れていた。
2019、2020、2021年と、私は厄年を生きた。
大方の予想通りひどい目に遭った3年だったと思ふ。
2019年には育ての親とも言えるひい婆さんが死んだが、
出張で死に目には会わなかった。
2020年には義父が他界した。
2020年に税務調査が入って、年末にかけて死ぬ思いをした。
物件を買って資金が枯渇したところを狙いすまして1,500万円持っていかれた。
(正確には払うべきものを後払いしただけだが)
2021年には税金をキレイに払ったが、借金が増えた。
そこに息子がスマホ中毒に感染して嫌な思いをしてしまった。
私の厄年に合わせて新型コロナ感染が広がった。
世界の皆さん、私のせいですみません。という思いである。
前厄年はお祓いをせず、
神社には賽銭箱に100円を投げ入れて満足していた。
2020年の初詣には、これはヤバいと思って2万円払って昇殿参拝をさせて頂いた。
2021年も2万円を払ってお祓いをしてもらった。
しっかり祓ってもらったからこそ、
私の厄が義父や息子に飛んで行って、私は健康で何事もなかったのかもしれない。
義父と息子には申し訳ない。
後厄年だった今年もロクなことがなかった。
物件も買っていない。
勤め人の仕事も一番苦手な、「エライ人達の意見調整」という仕事を拝命した。
間違って株を増やしたりしたが、うまく1割程度の利益で売り抜けたが、
大いに時間を無駄にしたと思う。
人生で大事なことは「何をなすか」ではない。
実は「何をしないか」の方が100倍重要だったりする。
すべきでないことをしないことで、
自由な時間が産まれる。
自由な時間があって初めて「何を為すか」がハッキリするのだと思う。
勤め人を卒業した大家の皆さんが、しばらくダラダラしていても、
再び動き出して色々なことをし始めるのもこの理屈による。
私はあえて2021年は何もせず、守っていた。
上杉謙信に攻め込まれた小田原城のように、じっとしていたのである。
なんとか乗り越えられる微妙な試練
人生には試練がある。
いい時ばかりは続かないし、
悪い時も長くは続かない。
まさにこの3年は、悪いことが次々に襲って来たと思う。
義父の死、妻の相続問題。
スッカラカンの時に1,500万円の追徴課税。
息子のスマホ中毒。
嫌いな仕事を任せられる。
自分のこと、家族のこと、仕事のこと。
正直20代であれば道路に飛び出したカエルが車に轢き殺されるようにギブアップしていただろう。
実際私は20代には2回も逃げるような転職をしている。
1,500万円請求されたら、迷わず破産申立していただろう。
息子なんか捨てて離婚して逃げていたかもしれない。
しかし、私は全てを完璧に乗り越えた。
義父の相続は妻の兄弟を差し置いて、全て妻が相続できたし、
税金はキレイサッパリ払った。
個人にも税理士を入れて、少し多すぎるくらいの税金を払う体制を整えた。
息子には毅然としてスマホを没収し、通話契約を解除して、
なんとか2学期の期末テストは最下位を脱出させた。
勤め人仕事の調整仕事も、開き直って取り組むことにした。
逆にそれを理由に業務負担を減らすように動いてよりホワイトな労働環境を作った。
ここには書くことができない試練もたくさんあった。
いずれの試練も今の私に丁度いい、
人間的に成長するために、楽過ぎず、厳しすぎない程度の試練であった。
世の中には死の宣告と言う試練を受ける人もいる。
堀江さんや村上世彰さんのように経済界全体から袋叩きにされるような試練もある。
私にはまだ上記のような試練は乗り越えられないものの、
今程度の試練であれば乗り越えられる。
それらがタマタマ厄年の時には重なってくるような気がする。
与えられる試練は、自分の弱点が顕在化したものだ。
私に与えられた試練は、試練とは言いながら、
自分の弱さがあぶり出した試練であるともいえる。
妻の相続問題に関しては私は一切不干渉。
聞かれたことだけに回答することに徹した。
相続問題が複雑化する要因は、当事者の周囲の人間が余計な口を出すことである。
カネがない兄弟の配偶者とか、
相談を受けた知り合いの法律家とか、
相違った類の連中が面倒な問題をさらに複雑化させる。
私は幸運にも妻の相続財産に干渉する程個人としては貧しくはない。
勝手にやってくれればよいと言う姿勢で臨んだ。
若い頃は色々なことに首を突っ込みたがる性分だったので、
この弱点が克服されていることを確認されたような気がする。
税務問題に関してはまさに私の弱点中の弱点だ。
私は法律の抜け穴探しやちょっとしたズルが大好きだった。
個人の所得を圧縮して、保育園料金をゼロにしてみたり、
児童手当の給付要件に入れるように所得を減らしてみたり。
毎年確定申告によって数百万の所得税の還付を得たり。
勤め人の仕事でも法律知識を逆手に取って、
債務者をハメたことがある。
既に時効が完成している債権を買ってきて、
債務者に「返済猶予」の申し出をさせる書面を送る。
「認印でいいですよー大した書類じゃないので」
と言って油断させ、ご丁寧に返信用封筒までつけて送る。
これによって時効が完成しなかったことになるので、
それを持って訴訟を提起して数百万円を回収したこともある。
裁判所に「原告の主張は正当ですが、やり方としては非常に行儀が悪いと思います」
と、怒られたこともある。
そんな邪道大好きな人間的弱点の総決算をさせられたのが、
税務調査だったと思う。
仮に1億円稼いだとしても、
稼げたのは日本と言う社会のお陰であり、その社会に少し還元するのは日本で暮らす人間の責務だと、今は思う。
稼いだ以上には取られないのだから、税金のようなものは、言われるがまま払うのが良いと、考えを改めることができた。
(合法的な節税はするが)
試練は自分を間違いなく強くする。
弱点を克服するチャンスなのだ。
女修行をしっかり終わっていれば、女に騙されることはない。
女修行を終えている人にとってはハニートラップなど、
平坦な道と何ら変わらない。
つまづくということは修行が足りない、即ち克服すべき弱点だということだ。
逃げずに立ち向かわなくても、
必ずのちの人生で形を変えて再び試練となって襲ってくるものだ。
半数以上はカネの試練に負けたまま人生を終える。
世の人は半数以上がカネの問題、試練を克服できずに、貧しいまま、人生を終える。
私はそれを克服し、女の課題、税金の課題、家族のトラブルなどを克服できた。
身体障碍者の息子が産まれたり、
親が寝たきりになるよりは軽い試練であるが、
それなりの家族問題も克服できた。
次はもっとハードな試練が私の人生には訪れると思う。
腕を失うとか、失明とかかもしれない。
それは分からないが、
呼吸が止まるその時まで1日1日を必死に生きたいと思う。
皆さんも試練には逃げずに立ち向かって欲しい。
それが不滅の魂を強化することなのだから。
でもまずはカネの問題を解決した方が人生は楽しい。
つづく