黒田 長政(くろだ ながまさ)
生誕 1568年12月21日 ~ 死没 1623年8月29日 享年 56歳
「何か電波でも受信するのだろうか・・・・」
という形状の兜ですが、ハンマーヘッドシャークですかね。
革新でブサイクになり、天道でリアルに。
そして創造でハンマーヘッドシャーク。
統率 76
武勇 79
知略 80
内政 81
外政 82
志は「所領拡大」
全般的に平均的ですが、能力は高い。
福岡52万石の基礎を築いた名君と言う扱いですね。
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キリシタン大名?
洗礼名はダミアンだそうです。
キリスト教に入信していますが、これは間違いなく父親の黒田官兵衛の影響でしょう。
その証拠に後に棄教(宗教をやめること)しています。
柔軟な思考を持つ人物であったことが推定されます。
キリスト教をやめた直接の原因はバテレン追放令(1587年7月24日)が直接の原因であり、
当時の支配者は羽柴秀吉。
スペインやポルトガル人が貧しい日本人を奴隷にして売りさばいていた状況を憂いた追放令です。
当時のキリスト教は侵略の手段でしたので正しい政策であったと思います。
朝鮮出兵
個人的には「朝鮮出兵」という言い方は不適切だと思います。
秀吉は明と戦争をしに行ったのであり、朝鮮には道案内を指示したものだと理解しています。
朝鮮半島程度では日本国内に不足する恩賞用の土地を賄えませんので。
それはさて置き、1589年、22歳で黒田官兵衛隠居。
家督を承継します。
その後朝鮮へも行きました。
その際に出兵した武将チームが、官僚チームである石田三成と対立したのはご存知の通り。
黒田長政が武将チームだったおかげで助かったと言えます。
(むろんまだまだ黒田官兵衛存命ですからその影響もあるでしょうが。
関ケ原の活躍
島左近を打ち取ったのは黒田隊だそうで、関ケ原最大の功労者として評価されたようです。
その功により岡山へ移封された小早川秀秋の領土を加え、47万石の大名となったようですね。
ちなみに江戸時代表面石高ランキング上位の「外様」大名家は
1位 加賀藩 前田家 103万石
2位 薩摩藩 島津家 72万石
3位 仙台藩 伊達家 62万石
4位 熊本藩 細川家 51万石
5位 福岡藩 黒田家 47万石
なかなか素晴らしい戦果ですね!
5位にランキングされております。
ハンマーヘッド兜
(画像出典:福岡市博物館)
正式名称は「銀箔押一の谷形兜(ぎんぱくおしいちのたになりかぶと)」と言い、一の谷の地形をモチーフにしているそうですが。
目立ってしょうがない気がしますな。
武将の兜は徐々に加筆していきたいというか突っ込みたいところが満載です。