藤堂 高虎

将軍徳川家
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藤堂 高虎 (とうどう たかとら 生誕 1556年2月16日 ~ 死没 1630年11月9日)享年 75歳

今日は藤堂高虎

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能力は文句なし!
+3された状態なのでベースは

統率 81 武勇 81 知略 87 内政 92 外政 84

何という万能型


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7人の主君って?

浅井家⇒織田家⇒豊臣家⇒徳川家じゃないのかなあと思って調べてみました。

大志では羽柴秀長に仕える際のイベントがあります。

浅井長政→阿閉貞征→磯野員昌→織田信澄
羽柴秀長は5人目ですね。
以降は秀吉、家康なのでこれで7人かなと思いますが、
秀長⇒秀吉の流れは兄弟なので主君を変更したウチには入らないかと思います。

こうしてみると、ショボい武将に仕えてはやめを繰り返して、
秀長に関してはその死まで使えておりますし、
家康にスッと鞍替えする辺りは時流を読む能力も優れていると思います。

特に大阪の陣(1615年)には徳川四天王
酒井忠次(1596年死亡)、本多忠勝(1610年死亡)、榊原康政(1606年死亡)、井伊直政(1602年死亡)も全員死亡しており、まともに戦争をした経験がある武将がいない中、家康の実質的な軍師として共に指揮に当たったとの逸話もあり、家康の信任も厚かったようですね。

その結果外様大名ながら譜代大名並みの格別の取り扱いを受けたのが津の藤堂家です。

7人の主君の後半は 羽柴秀長 ⇒ 豊臣秀吉 ⇒ 徳川家康で
その前の4人が 浅井長政→阿閉貞征→磯野員昌→織田信澄とショボかったというわけでした。
彼は築城の名人でもありますし、
朝鮮出兵の件も触れたいところ、彼をどこの家臣に入れるかは悩みましたが、
最後の奉公先である徳川家にしたいと思います。