私のキャリア(勤め人)について語ろう

Lappet-faced vulture (Torgos tracheliotus), South Africa
私の履歴書

負け続けた田舎の秀才

私はいわゆる田舎で比較的勉強ができた子供として育った。
県内で二番手の高校をソコソコの成績で卒業した。

東京大学を受験したが、失敗した。
しかし、
もしも、私が東京大学に合格していたら、
今頃間違いなく官僚になっていただろう。
そう思って東京大学を受けた。

私は民間企業で働くという選択肢は持っていなかった。
そして受験したのは文科Ⅱ類だった。
おそらく官僚になっていたら、
私の年収は今頃1,000万円を超えたくらいではなかろうか。

今とは比較にもならん。低い。
不動産もやっていなかったはずだ。

私は東京大学を落ちて早稲田大学法学部に入学した。
司法試験を目指し、卒業後も2年司法試験を受験したが、
ダメだった。
しかし、もしも私が司法試験に合格して弁護士になれていたとしたら、
今、数が増加した弁護士業界の仕事の奪い合いの様子を見るに、
その競争に私は間違いなく負けていた。
私は能力的に低い、記憶力、弁論力、どちらも弱い。

就職活動でいい企業に入っていても同じことだ。
大企業に入れば、優秀な人間がゴロゴロいる。
出世競争に敗れて、卑屈な勤め人になっていただろう。


私は新卒カードを切れず、試験にも合格できないまま、
最悪の状態でリスタートしたのである。


結果的に、私はサラ金の子会社のサービサーに第二新卒で入社せざるを得なかった。
入社時の年収は300万円。
大学の同級生は600万円以上はもらっていたと思う。
私は落ちこぼれたのだ。

その後、逆転しようとして投資用不動産の販売会社、
いわゆるブラック営業の仕事に就いた。

まさに地獄だった。

業務時間中のサラリーマンに投資の勧誘を電話でするのだ。
単なる迷惑だ。
そんな迷惑な仕事を半年で辞め、
私はサービサーの世界に戻った。
27歳。年収は400万円だった。

しかし、この屈辱的な大学卒業後の5年間が、私のプライドを叩き壊してくれた。
私はそれまでの人生プランを180度転換する必要に迫られたのだ。

そう、
お勉強ができた学生のサクセスルートを踏み外したのだから。

官僚にもなれず、弁護士にも、一流企業の勤め人にもなれなかった私は、
不動産と勤め人という2つの収入を合算して、
大学の同級生たちと同じくらい稼いでやろうと決めた。

同級生たちに年収で負けたくなかったのだ。
キラキラした一流のルートを歩む彼らに勝ちたかったのだ。

最終的に私は勤め人として成功した。
今の勤め人の年収だけで彼らと同じくらいもらえるようになった。
さらに不動産収入がある。
それだけでも勝ったと言えるのだが、
さらに妻が相続で私の勤め人年収と同じだけの年収がある。

そう、私は失敗したからこそ、成功したのだ。
屈辱を味わったからこそ、這い上がるパワーを得ることができたのだ。

今、私は経済的に不自由していない。
しかし、もしも受験に成功したり、弁護士になれていたら?
おそらく苦労していただろう。
私のことだから、その後、何とかして成功するのかもしれないが、
どっちみち何かしらの苦労を味わったであろうことは想像できる。

何が失敗で何が成功かはハッキリ言って分からない。
大事なことは、失敗、敗北をしないことではなく、
再び立ち上がって、戦うことである。

サービサーという新しい業界と収入の複線化

1998年に成立した法律によって、
ゼロから誕生したサービサーという業界。
日本の不良債権ビジネスで稼いでやろうという外資系金融の日本進出。

ただ、外資系金融はしょせん外人だから、日本の借金を回収するには
日本人を使わねばならない。
外資系金融は、日本の銀行をリストラ、ドロップアウトした銀行員を採用していた。

私も外資系金融に入りたかったが、
メガバンクなどでキャリアを積んだ人を採用していたのでお呼びではなかった。

しかし、

不良債権を回収するためには、
弁護士かサービサーに回収を任せなければならない。
それが新しい法律だった。

私は外資系金融(メリル、モルガン、ゴールドマン、リーマン)が買い漁った不良債権を片っ端から回収する勤め人としてキャリアを再構築しようとしていた。

しかし、
私は理解していた。
これだけでは足りん。と。

そこで私は大学時代の友人と起業した。
友人は今でも経営者であるが、
私はさすがにリスクが高いと思ったので、

勤め人をメインとして、自分は友人の事業を手伝うというスタイルで参画した。
そこで毎月15万円の収入を得た。
勤め人で400万円、副業で180万円だ。

さらに私は結婚することにした。
妻とする相手は必ず「正社員」であることを条件に相手を探した。
自分と妻の合計年収、つまり「世帯年収」で1,000万円に乗せようと考えたのだ。

そして今の妻と出会い、1年で結婚した。
妻は1部上場企業の正社員で年収が400万円あった。

これで世帯年収は980万円だ。
合算すれば大学の同級生にも遜色ない水準になった!

さらに私は妻に中古ワンルームを買わせた(2号物件)。
私は貯金ゼロだったので、
妻が結婚前から貯めていた
貯金200万円を頭金に2号物件を買った。

これで年収が+96万円。
2008年、ついに私は世帯年収1,000万円を超えた。
1人の勤め人年収は400万円だが、世帯年収は夢の一千万だ。

だいぶ曲がりくねった経緯だが、
私は28歳にしてなんとか世帯年収1,000万円にしてやったのだ

①勤め人 400万
②副業  180万
③妻   400万
④不動産 100万

である。
しかし、問題が起きた。

妻が妊娠したのである。

年収の低下、勤め先の倒産

2009年に長男が誕生するが、
妻は産休、育児休暇に入る。
当然、その期間、年収はゼロになった。

世帯年収も680万円にダウンした。
私は焦った。
必死でダブルワーク、貯蓄、節約を重ね、
3号物件を全額現金で買った。
これで年収+66万円である。

746万円まで戻した。
もうこのまま、ひたすら機械的にやる!
そう決めた。

しかし2010年、勤め先が、なんと倒産した。
借金取りの会社が借金で倒産したのだ。
バカバカしい。

投資ファンドのアントキャピタルが派遣したエリートも
全く役に立たない。アホ経営者だった。
今でもアホな投資をしているんだと思う。
稼ぎ頭の勤め人である、私の給料を増やさず、賞与もカットしやがった。

最後は
「廃業するので各自転職先を探してください」
と、言われた・・・・。

サービサーは、
そもそも倒産した金融機関からの転職組が多かったので、
皆、粛々と次の職を探して転職していった。
怒りの声を上げるでもなく、居座るわけでもない。

私も騒がす、粛々と転職しようと思った。

リーマンショックで世間は不況である。
が、不良債権も増えていたので、仕事はあるはずだと思っていた。

私は当然、別のサービサーに行くことを決めた。
銀行の子会社のサービサーである。
1名だけ、延滞督促、回収のポストの募集があったので、
そこに申し込んだ。
年齢、キャリア、学歴、どれをとっても私が採用されるのは間違いない。
そもそもサービサーで30歳程度、早稲田大学卒業なんて人材は日本中に私しかいないのである。
業界が新しいことが幸いした。
私は銀行の子会社のサービサーに転職できたのだ。

休職期間ゼロでスムーズに転職し、
なぜか給料も700万円に増えた。
親会社が銀行なので、子会社の給料も高かったのだ。

災い転じて福となす。
私の年収は

①勤め人700万円
②副業 180万円
③不動産170万円
④妻育休明100万(保育園と相殺)

となった。
期待していた復職後の妻の稼ぎは、保育園に送迎するので、
時短勤務となり、大幅に減った。
さらに保育料金がかかり、妻の給料と相殺され、
妻の稼ぎはスズメの涙程度の給料となってしまった。
少々イラついたが、子供のためだ。
しかたがない。

何とか妻が戦力外になったトラブル、勤め先の倒産という危機を回避して持ち直した。
なんとか3年ぶりに年収1,000万円世帯に復活だ。

転職先で無双する

外資の手先として、
同僚に商工ファンドのOBがいる環境で借金取りの腕を磨いた私は、
銀行の子会社で無双した。

ハッキリ言って学歴があっても
ぬるい会社で勤め人をしていた銀行子会社のエリート連中など相手にならない。
私は無双状態だった。
まさに仕事ができるエースとなった。
しかし、このエースっぷりが災いする…(後述)。

一方で不動産は着々と増えて、家賃収入は300万円にまで増えた。

①勤め人700万円
②副業 180万円
③不動産300万円
④妻育休明100万(保育園と相殺)

世帯年収1,280万円である。
総合商社に就職した同級生とも遜色ない。
このまま不動産と給与で増やしていけば人生楽勝だ。
そんなことを思っていた時期であった。

しかし、『勤め人の罠』がここで発動する。

銀行子会社でエース級の活躍をしていた私は、
親会社の銀行役員の目に留まったらしい。
私は銀行が設立した新会社の初期メンバーとして出向を命じられたのだ。
そこでの仕事はなんと「ファイナンス」である。
「金利7%(仕上がり10%)でロット2億以上で貸してこい。」
そんな使命だ。
周囲の同僚は銀行マンやら子会社のエースたちだ。

これは正直言って「誤算」であった。
今ならわかる。
一瞬評価されて嬉しかった気持ちもあった。



私は子会社において、
「エースで無双」してはいけなかったのである。
投資用ローン、住宅ローンの延滞、デフォルト債権の回収という、
自分が得意でなおかつ楽な仕事から
「ゼロから客を取ってくる仕事」に回されてしまったのだ。
そしてその理由が「コイツは仕事ができそうだから」である。

ローンの延滞率を8%から3%まで下げ、
破綻債権の回収率を60%から80%まで引き上げた手腕を買われたのだろうが、
これが非常にまずい結果になった。

なぜならば、

新会社での仕事は多忙を極める。
そもそも金利10%で借りる事業者を探さねばならない。
当然貸せる先は不動産開発くらいしかないのである。
私は毎日電話FAXメールで営業し、面談した。
借金取りのほうが1000倍楽である。
日中電話と面談を行い、夜は翌日からの新規開拓先のリストを作り、
融資案件の稟議書を書く。
稟議書は銀行の子会社なので、非常に面倒。細かい。
決裁が銀行の常務。外国人の役員向けにプレゼン資料を英語にするという、
わけのワカラン作業もある。

私はこの時気づいた。
勤め人は成果を出して、出世すると、
より厳しい戦場に送られるのだ。と。

私は非常に苦しんだが、
何とか八王子の分譲マンション建築プロジェクトをみつけ、
そこにファイナンスを実行した。

エリートが集まっている中で、
おそらく最速でゼロから案件を引っ張ってきたと思う。
しかし、しかしである。

私は延滞督促、破綻債権の回収に戻りたかった。
心から戻りたいと思っていた。
しかし、私は新プロジェクトで成果も出しているし、
おそらくこれが軌道に乗って、多少の出世もするだろう。
だがしかし、給料はスズメの涙ほどしか増えてない。
にも関わらず、この忙しさの違いはなんだ?
ほとんど転職じゃないか?

一方、友人と始めたビジネスは順調に拡大しているが、
そっちを手伝うのもおろそかになっていった。
友人は自分の弟をビジネスに引き込んで、
私の仕事を引き継いでもらった。

私は倒産した会社から転職して年収が増えたのだが、
それに勝手に恩を感じて、頑張った結果、
仕事が変わって、仕事が増えて忙しくなる。
という皮肉な結果になったのだ。

でも、給料は高いので不満は言えない。
そうコロコロ転職していたら次の転職にも悪影響が出る。

少なくとも3年私はここで頑張るしかない。
異動を願い出るにしてもまだ早すぎる。そう思っていた。

取引先の外資系金融マンからの誘い

そうして2011年、2012年と過ぎていった。
このころ、リーマンショックによって外資系金融の存在感はどんどん小さくなっていった。
私が前職で仕事をもらっていた外資系金融の担当者も、
色々な業界に転じて行った。

そんなある日、
前職で仕事をもらっていた外資系金融マンの一人から食事に誘われる。

外資マン「やあSAT君、今の仕事は順調かい?」
SAT「それが、回収からファイナンスに異動しまして、非常に苦戦してます」
外資マン「それは大変だねえ。成果は出てる?」
SAT「資金調達力の弱い開発業者に絞って何とか融資実行できましたが、これをずっとやるのかと思うとツライですね。まあ先のことは考えず、ひたすら貸すことに集中です」
外資マン「ところで、今私は、とある再生ファンドで働いているんだけど、債権回収の実務能力がある若手が全くいなくて困ってるんだけど、働いてみる気はないかね?」

と、転職のお誘いを受けた。

SAT「その再生ファンドでは債権回収ができるんですか?」
外資マン「そう、再生ファンドって言っても不良債権の買い取り、回収の派生だよね」
SAT「給与は今の水準を維持できますかね?」
外資マン「それは保証する。」

私はエース級の活躍をして、評価された結果、
自分が得意でホワイト労働であった債権回収の職場を離れることを余儀なくされた。
送り込まれたのはレッドオーシャンである不動産ファイナンス営業の世界だった。

私は誘いに応じて、転職。
再び自分の得意分野に戻ることにした。
しかし、同時に決意したのである。
外資マンには恩義がある。
しかし、本当に申し訳ないが、私は銀行の子会社でやったような無双の成果は出さぬ。
と決意していたのである。

私はおそらく最後になるであろう、4回目の転職をしたのである。
そして、2013年から現在(2023年)まで、同じ会社に勤務している。

私がいた銀行の子会社は今はもうない。
整理統廃合されたようだ。
その親会社の銀行もネット銀行と合併した。
残っていたら私もどうなっていたかはわからない。

転職先は外資ではない。
名前が外資っぽいが、すでに外資系証券会社は
今の勤め先の会社の社長に売却していた。

勤め先の社長は素晴らしい経営者であり、
労働分配率が高く、ホワイト労働である。
おかげ様で不動産は順調に拡大し、家賃収入1,000万円まで増加した。
友人と始めた事業は辞めてしまったが、
その会社は今でもしっかり経営しているようだ

資格試験の失敗、安月給の勤め人、結婚、
ブラック企業に転職、勤め先の倒産、
大企業の子会社での大活躍の結果など、
一生懸命勤め人をしたと思う。
最終的に、私はいい会社に行きつくことができた。
おそらくこの会社を最後に勤め人を卒業するだろう。

誠に残念だが、再現性はない。
私の人生は唯一無二である。
あなたの人生も同じだ。

しかし、失敗、挫折、苦労を経て、
描いた目標に向けて進み続ければ、
想定外の「良いゴール」にたどりつくだろう。

私が1社目に就職したサラ金子会社のサービサーは、
今では銀行の子会社である。
給料は相変わらず安いだろう。
何も動かなければそこに今もいた人生もあった。
2社目のブラック企業でも、必死でやって売りまくる人生もあったかもしれない。
3社目は倒産したので、私の力が及ぶところではない。
4社目はいい企業だった、ホワイト過ぎて公的資金を返済できない銀行だった。一生いてもいいと思えた。が、ネット銀行に買収されたので文化が変わった可能性がある。しらんけど。 

まとまりのない文章であったが、
最後まで読んだ人がいたとしたら、
ありがとう。

読者の方に何か1つでも学びがあったらこれ以上の喜びはない。

また書く。





1 件のコメント

  • 大変面白い記事でした。
    特に今回、初めて知ったのは2013年にオファーがあり現職に転職された部分です。
    いま、私が研究しているEX勤め人ルートに関する条件のところで、最後のピースとして「君主(社長orトップ役員)とのシンクロ率」という項目があります。
    いかに実務力がある人でも、辞めてしまったら意味がないし、シンクロ率が高い人でないと君主から信用されませんので自由な行動が取りにくい、という最後の難関です。
    私はこれをクリアすることができたのですが、自分だけの事例ですし、半ば「運」だったので再現性が取りにくいな、要件に加えにくいかな、と思っておりました。
    しかし今回のSATニキの履歴を読み確信しました。
    やはりシンクロ率の高い君主を探すことは重要パーツであるということです。
    実力と実績があることは前提としても、それだけでは不足です。
    実力実績があり、かつ君主とのシンクロ率が高ければ独立遊軍の将になれる、という私の説においては、いかに君主から大目に見てもらって、いかに特権階級化するかがポイントなので、今回の記事は大変勉強になりました。
    今度私のブログで本記事を引用してもよろしいでしょうか?
    ご検討のほどよろしくお願いいたします。

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