武田 信虎

甲斐武田家
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武田 信虎(たけだ のぶとら)
生誕 1494年2月11日 ~ 死没 1574年3月27日 ※享年81歳

志は「天道照覧」
人の運は天が定めならば心のままに行うことも良かろう

諸行無常
世の移り変わりの如く
敵も友も常に定めたものではあるまい

甲斐源治
甲斐から進出すべし
源氏嫡流武田家の飛躍の為に

信虎は分裂の甲斐を再統一し、武田氏を戦国大名として飛躍させましたが、大体な外交方針の転換や苛烈な軍事政策が臣民を疲弊させたと言われています。信玄に追放された際、家督に執着することなく隠居を受け入れました。信虎の風格がそうさせたのでしょうか。

基本(逆襲の虎):敵より少ない兵数で決戦すると部隊の攻撃力が上がる
条件(拡大主義):領外で決戦すると部隊の防御力が上がる
条件(縁定め):婚姻同盟勢力が実行している方策の場合実行に必要な施策力が下がる
悪(窮兵讀武/きゅうへいとくぶ):勢力の民忠が下がる

甲斐武田氏は源義家に始まる源氏の嫡流です。室町時代にその権威は落ちますが、信虎は優れた手腕で再興を果たしました。のちに信玄に追放されますが、駿河や京都でも幕府・公家と交流し、名門甲斐武田氏の元当主として堂々たる日々を送ったと言われています。

基本(源氏嫡流の風):親善の効率が上がる
条件(甲府開発):領内の商圏の金銭収入が増える
条件(朝廷外交):朝廷からの使者が来訪しやすくなる
悪(流離の名門):宣戦をすると他勢力が加勢しにくくなる

統率 86
武勇 90
知略 74
内政 61
外政 69

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