本願寺 顕如(光佐)

一向宗本願寺
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本願寺 顕如(ほんがんじ けんにょ) 誕生 1543年2月20日 ~ 没年 1592年12月27日 ※享年50歳

志は「往生極楽」

進者往生極楽 退者無間地獄
極楽を望まば、ただ前へ進め

一向一揆

親鸞聖人の教えを信じる者たちよ
我が下に集い、自らを救済せよ

寺領保護

門徒らよ、仏敵を倒すため武器を取れ
財を集め、寺領を守り抜け

一向一揆
浄土真宗の宗派の一つである本願寺が
急速に力をつけたのは、
各地の土着的な信徒たちを
まとめたからだと言われています。
全国各地で巻き起こった一向一揆は、
武士や農民にかかわらず、
あらゆる層が一枚岩となって
大名たちの支配に立ち向かいました。

基本(門徒参戦):寺のある戦場で決戦すると兵数が一時的に増える

条件(進者往生極楽):合戦中の敵勢力の民忠が下がる

条件(退者無間地獄):籠城戦で士気が下がりにくくなり攻城戦で包囲の威力が上がる

悪(南無阿弥陀仏):農兵の死亡率が上がる

寺領保護
戦国時代の座というものは、
月々金銭を支払ったり、
奉仕をしたりなどして会員となると、
商業活動が保護されるという仕組みでした。
巨大な宗教権力である寺院が、
大きな座を持ち莫大な利益を得るのは必然でした。

基本(講):寺のある拠点の兵糧収入が増える

条件(座):寺のある拠点に所属する商圏の独占費用が減る

条件(布施):独占している商圏の成長速度が上がり特殊商圏の金銭収入が増える

悪(座の代償):商圏の投資費用が増える

統率 85
武勇 70
知略 81
内政 93
外政 96

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信長の最大のライバルではなかろうか

信長と敵対すること10年。
最後は本願寺から撤退しましたが、信長と向き合って10年持ったということは間違いなく
優秀な指導者であったことでしょう。