渋沢栄一の「論語と算盤」
渋沢栄一の父親も優れた人物のようで、
渋沢栄一の才覚を見抜き、自分の手に負える人材ではないと判断したとのことだ。
一方で渋沢栄一の子供達に関しては、
渋沢栄一自身、これと言って優れた者もいない。
と、言っていた。
さてさて、
確かに豊かさと貧しさは次第に固定化するというのは正しいと思う。
なぜならば、賢い人間が成功し、ルールを作るからである。
賢い人間でも我が子、我が子孫はかわいいのであるから、
その可愛い我が子、我が子孫が、有利になるようにルールを作る。
さすれば、当然資本主義社会は必定、富裕層と貧困層が固定化していく傾向にあるのだと思う。
私の財産など取るに足らぬが。
渋沢栄一は妻(二人)との間に7人の子供がいたらしい。
さらに妾にも子供が居たので、
20人以上の子供がいたそうだ。
自分の死後に財産分与で揉めることを心配して色々対策もしていたようだ。
私が死ぬまでに形成する財産などは取るに足らぬものだとは思う。
それでも1人が質素に暮らしていけるだけの規模にはなると思う。
1憶2億の相続財産で争うような育て方はしたくないが、
残念ながらハシタ金で争うようなことも起きないとは限らない。
息子達には正直私程の才気も感じないが、
一方で私自身に人の才気を見抜く力があるとも確信できない。
よって、子供に対して期待も失望もない。
ただ、成長を支援すること。
オヤジとして自分なりに生き様を見せることしかできないと思う。
名門お私立中学に入ったのに勉強を回避する息子
折角ソコソコのお私立中学に入学し、
毎年100万円以上のコストを費やしている長男だが、
残念ながら成績は振るわない。
中間テストでは補修を受けさせられる始末だ。
親としては苦言を呈したいところではあるものの、
彼の人生に対して支援をすることはできるが、
彼の人生を代わって生きることはできない。
色々悩んだ結果、放置することに決めた。
妻でも我が子でも別人格なのだから、
私の正義を押し付けたとしても彼らがそれを理解しない可能性の方が高い。
であれば彼らの人生をそっと後押ししてあげることしかできない。
そして私は息子に対してであっても、
「人に対して期待も失望もしてはいけない」
という真理に思い至った次第である。
3人の息子が全員バカ息子であろうとも、
私は私が金持ちになるべく邁進せねばならぬな。
と、思い至った。
一応3人とも健常者らしいから、
今のまま勤め人大家でヘラヘラやっていても、
三男が仕上がる(大卒)頃、
私が60歳手前には悠々自適になるという人生計画だった。
しかし、どうやら40歳にてサボりを決めて逃げ切れる程、
人生は甘くないらしい。
自分以外には期待できないから、
もうちょっと気合を入れて生きようと思い直した。
そんな話でした。
つづく