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2026年5月30日(土)


木金泊りで土曜の朝帰宅の出張だった。
なかなか出張中だとブログを更新する時間もない。
常に移動、面談、会食があるし、酒なんか入ったらもう書く気が起きない。
事故にもつながる。

そんな訳でこれは書き貯めである。

明日で私の法人も10期目が終わる。
SAT法人第10期、創業10年の節目だ。
初めて不動産登記簿謄本に俺の名を刻んだのは
2007年11月29日。
法人登記簿謄本に俺の法人を刻んだのは
2016年6月1日。
大家業開業は2008年(妻名義の貸家)。
18年のキャリアだ。

長かったような気もするし、短かったような気もする。
岩手の山奥から東京に出てきて、
大学は出たものの、鳴かず飛ばずの勤め人。
年収は400万に満たなかった。

ちょっと道を間違えたら、田舎に逆送致されるような
薄氷を踏むような日々だったと思う。
それから大家業からのアガリは一切手を付けず。
それどころか、勤め人収入から追加投資を続けて、
ここまで歩みを進めてきたのである。

これを株式投資でやってきた人もいる。
彼らも億り人になっている。
自分で起業した人もいるだろう。
山、そう山である。

資本主義の攻略という山を登るルートは1つではない。
しかし、山登りという行為にはルールがある。
ルートは複数、ルールも複数。
かと言って、ルート、ルールから外れてはならない。

正直に言えば、もっと効率よく、早く、登ってくることも可能だった。
可能姉妹だった。
しかし、それが叶わなかったのも、私の魂の未熟。
この魂の未熟を成熟に変えるのが、現世に産まれる理由でもある。
その未熟を成熟させるため、あえて遠回りをしなければならぬこともある。
この魂の修練、成熟のプロセスを終えた時、人は現世を離れ、
別の世界に移動するのである。

必要があればまた、現世に産まれて必要な修練を積む。
産まれてすぐ死ぬ魂もあるが、
それはそれで、必要な修練を終えてまた帰ったのである。
悲しむ必要はないとは言わないが、
悲しむべき人が悲しむのもそれもまた、魂の修練だ。

さて、そんなスピった話はさておき。

私の次の修練の課題は何か?
先日語った、次にガチ(真剣)になるべきモノである。
これがないのが最大の問題。
ガチになれるものがないなら死んだ方がマシかと言えばそうでもない。
残念だが、私はまだくたばる訳にはいかん。
理由は息子どもの成長を見届けねばならんという使命だ。
まだ死んでしまっては、息子らも可哀想だろう。

私としては、資本主義をゼロから攻略して、
1代限りの資産か成りを果たしたので、
1つの人生の課題を為し終えたと思っているのだが、
その過程で息子らが私の人生に参加し始めている。
こうなってしまうと、私だけの人生でもないわけで、
次の課題設定が必要となった。
それが、資本家一族の成立と安定的承継というテーマである。
大目標ってヤツだな。
この大目標を達成するためにいくつかの小目標が定められる。
例えば
〇 貸家の規模(売上2,000万で1家族単位)
〇 一族の団結(集住、財・サービスの内部循環による課税回避と節約)
〇 外部からの収奪(新築の家、新車、教育費)を防ぐ壁(思想)
〇 相続税対策(政治団体の活用、メイン法人の純資産の過度な肥大化抑止)

このような小目標が定まってくる。
その手段として、さらに細分化された戦略に落とし込む。

〇 小ロットの貸家を賃貸需要が確かな場所に買っていく。
〇 買ったら売らない。
〇 子供の住処は親が用意して子世代独自の資産形成を促進させる。
〇 教育により結婚子育てを担当する個体を選別。
〇 後継者教育、後継者以外の者との不公平感を産まないプロセスづくり。
〇 争族にしないための日々の会話、コミュニケーション

戦略まで決まったら、後は日々の行動である。
挨拶をするでもいいし、自由意思を尊重するでもいい。
必要な知識も多岐にわたるので、勉強も欠かせない。
ただ、勉強と言っても、自分より賢い先人達が既にそれには取り組んでいるから、
自分が感じる目的意識に沿って、探索していけばすぐに解決策には辿り着く。
現代は特にネットの力で簡単にその知の泉にアクセス可能だ。

息子、孫らへの承継作業が終わったら、
いよいよワシも死んでも構わん時期になるだろう。
徳川家康公も、豊臣家を滅亡させて、秀忠から家光への承継が終わり、
御三家が自走し始めたあたりで、もうよかろう。
となって、神となった(東照大権現)。

為すべきを為し終えたら、現世は辞去して然るべし。

死が漠然とした恐怖を与えてくるのは、
「まだ為すべきを為し終えておらんぞ」と、訴えてくるからである。

為すべきことを為さずして、死にゆくのは、
夏休みの宿題を終わらせずに、登校するようなものだ。

まだだ、まだ終わらんよ!

クワトロ・バジーナはそう言っていた。

大破した百式にあって、まだ生きていたのである。
まだ為すべきを終えていなかったのである。

結局その後、キャスバルが目指したのが、
アクシズの地球落下によるグレートリセットと言うのが、破滅的思考だが、
それも為すべきを為したと言える。

アムロにそれを止められるまでが「なすべきこと」だったのかもしれない。

思うに任せて筆を振るった。

私の人生第1幕は既に終わっている。

第1章 平民から、才能は凡人スタートで労働者卒業する。

第2章 資本家一族の形成と安定承継

おてんば姫の冒険ではない。
第二章だ。

途中で第三章が始まるかもしれないが、それもまた善哉。

をはり

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